リビア反政府派が西部山地帯で攻勢

2011.7.29
追加 2011.7.30


 military.comによれば、リビアの反政府派は木曜日に西部で大規模な攻勢を開始し、3つの街を奪い、チュニジア国境に近い補給路を守るために他の街へ向かっています。

 この攻勢で4人の戦士が殺され、数人が負傷し、カダフィ軍兵士18人を捕虜にしたと、反政府広報官は言いました。

 木曜日、何百人もの反政府派は未明に拠点のナフサ山脈を降り、100km以上の地域に沿って前進したと広報官、バディース・フェサト(Badees Fessato)とアブデル・サラム・オスマン(Abdel-Salam Othman)は言いました。反政府派は政府軍を、ジャウシュ(Jawsh・kmzファイルはこちら)、ゲザヤ(Ghezaya・kmzファイルはこちら)、タクト(Takut・kmzファイルはこちら)から追い出したとオスマンは言いました。

 反政府派はバドル(Badr・kmzファイルはこちら)と他に2つの地域にも前進しています。

 ジャウシュはチュニジア国境から約150km東にあり、チュニジアとトリポリ間の幹線道路に沿っており、ゲザヤはチュニジア国境に近く、反政府派が保持するナルト(Nalut・kmzファイルはこちら)への政府軍の砲撃基地として使われていました。

 攻勢の目的の一つは、カダフィ軍をチュニジア国境からナフサ山脈までの反政府派の主要補給路から後退させることだと反政府派広報官は言いました。反政府派は4月にナフサ山脈に近いチュニジア・リビア国境の支配を奪いましたが、カダフィ軍は繰り返し奪い返そうとし、補給路を砲撃しました。
 
 別の展開として、反政府派は自身の軍高官を、彼の家族が依然としてカダフィ政権とつながっているという疑いのために拘束しました。反政府派広報官、モハメッド・アル・ライジャリ(Mohammed al-Rijali)は、アブデル・ファタ・ユネス(Abdel Fattah Younes)は尋問のために、前線に近い彼の作戦室からベンガジへ連行されました。

 匿名を希望する反政府派当局者は、カダフィの内務大臣を務め、戦いの初期に離反したユネスは、彼の家族がカダフィ政権と秘密のつながりを持っているという疑いをかけられていると言いました。

 ここ数日、カダフィ大佐も音声メッセージで抵抗を呼びかけました。水曜日にリビア国営テレビが報じたメッセージで、カダフィ大佐は西武の反政府派に武器を捨てるように求めました。

 「降伏しなさい、テロリストたち!。リビア国民は(西部の山地へ向けて)前進しています。降伏か、死を選びなさい」とカダフィ大佐は叫びました。

 彼は、反政府派はNATO軍の爆撃に頼らないと、山地帯を保持できないと言いました。


 今回占領した町は、チュニジア国境からトリポリ西方、ザウィヤのさらに西に通じる道路に通じ北上すれば地中海に達する地域です。途中には防御に使えるような地形はなく、反政府派は物的・人的な資源さえあれば、地中海沿岸の町を制圧できます。強いて言えば、砂漠は障害物であり、100〜150kmの進撃はかなり困難です。反政府派は直ちにリビア西部を支配下に置いたとは言えないものの、それでもこれは大きな進展です。しかし、100kmの地域に数百人が守っているというのは、極めて小さな数字です。カダフィ軍はどこかに戦力を集中することで一部を奪い返すことができるでしょう。問題は、カダフィ軍の戦力が分からないことで、それが可能かどうかは判断ができません。しかし、カダフィ大佐がかなり西方を気にしているようなので、西方は戦力不足なのだろうと想像できます。

 一体を占領した反政府派は、しばらく時間をかけて態勢を整えるでしょう。次の進撃は半月から1ヶ月先でしょう。ナフサ山脈でトリポリ後略に関係しそうな場所はほとんどが反政府派の手に落ちました。

 ユネス殺害については、別の記事が出ているので、別に書きたいと思います。



Copyright 2006 Akishige Tanaka all rights reserved.