IEDを耐えた米軍曹が事故死

2011.7.15


 軍事問題とは言えませんが、なんとも奇妙な事故が起こりました。military.comによれば、両足をイラク戦で失った退役軍人が、遊びに行ったテーマパークのジェットコースターから投げ出されて死亡しました。長い記事なのですが、簡単に紹介します。

  「ダリエン湖テーマ—パーク&リゾート(Darien Lake Theme Park & Resort)」のジェットローラーコースター「ザ・ライド・オブ・スチール(the Ride of Steel)」の標識には明確に「両脚があること」と書いてありました。

 IEDで両脚を失ったジェームズ・ハッケマー3等軍曹(Sgt. James Hackemer・29歳)は金曜日に、3つあるコースの山の最後で2番目に高い山で、コースターの力によって座席、膝のバー、シートベルトから放り出され、車両の前部にあたり、150フィート落下して、芝生の上に落ちて死亡しました。

 コースターの操作員たちはハッケマーは両脚がないことを明らかに知っていましたが、彼らがなぜ彼を時速112kmに達し、最初の山で60m落下するコースターに乗せたのかは釈明しませんでした。

 ハッケマーは3歳と4歳の娘を含む大勢の家族と共にテーマパークに来て、ゲストハウスで障害を持つ来客用の手続きをしました。彼はライドの乗り降りの仕方を説明されましたが、ライド固有の身体的必要条件を詳しく書いたパンフレットは、すでに持っていると言って受け取りませんでした。それから、彼は子供の頃に好きだったザ・ライド・オブ・スチールへ向かい、大学生の甥が彼を車椅子から持ち上げ、車両の前の席に乗せ、甥は次の席に乗りました。

 コースターの出入り口には白い木製の標識があり、赤字で制限事項が並んでいます。「このライドの拘束器具を完全に安全に動作させるため、お客様には両脚があり、サイズと身体的な特質が一定の範囲内でなければなりません」「さらに、手すりにしがみつくために、お客様は十分な体の強さをお持ちで、少なくとも1本の腕と手を使う必要があります」

 ハッケマーの親族はテーマパークに責任があると思わないと言いました。

 ハッケマーは左足全部と右足の大半を失い、彼がライドから投げ出された時、プラスチック製の義足をつけていませんでした。

 2008年3月、バグダッドの南部で道路に仕掛けられた爆弾にあたり、彼の心臓は2度止まり、2度脳卒中を起こし、6週間の間昏睡状態でした。彼は左足すべてと尻の一部を失い、右足は膝の上で切断されました。

 1人を除く彼の兄弟と同じく、ハッケマーは高校を卒業して軍隊に加わりました。彼は2005年にイラクに派遣され、彼の輸送隊の先導車が攻撃を受けた時、憲兵隊員としての2度目の派遣中にいました。彼はアーリントン国立墓地に埋葬されます。


 原文はかなり長く、もっと詳細が書かれています。特に、ハッケマー個人に関する事柄はかなり詳しく書かれています。私が気になったのは、イラクやアフガニスタンで米兵に殺された民間人の紹介記事は、ここまで長くないということです。この扱いの違いは何なのだろうと思います。

 映画「天と地」の原作者は、米兵と結婚し、夫の家族と暮らすようになり、アメリカ人がベトナム人に何の関心も持っていないことに驚いたと著書に書いています。彼らはよい人たちだったけど、怪我をした犬が助けられたニュースは真剣に見るのに、ベトナム人の戦災に関するニュースはまったく見ようとしなかったのです。

 こういう「無意識的な差別」を、この記事から私は感じ取りました。この事故は明らかに不注意が原因であり、さほど大きく取り上げる必要はありません。米兵が不法に殺害したイラク人の記事では、精々、氏名とおよその年齢、職業の説明があればよい方です。イラク人やアフガン人を助けると言いながら、アメリカ人はどこかで彼らを無視しています。

 別の面を見ると、ハッケマーがジェットコースターに乗ろうとしたのは理解できることでもあります。あるドキュメンタリー番組で、ワニに襲われた若者の話を見たことがあります。彼は米軍に入隊したものの、病気が判明して除隊せざるを得なくなりました。目標を失った彼を励まそうと、友人たちがパーティを開きました。酒を飲んで酔った彼は、川を向こう岸まで泳いでみせると言い張り、実行しました。そこでワニに噛まれて、片腕を失ったのです。

 体の機能の一部を失った場合、その損失を生めようとする心理が働きます。そこで、無理をしてでも身体的な問題がないことを証明したくなり、無茶をする傾向があります。映画「7月4日に生まれて」の原作者、ロン・コビックは脊椎を損傷しながらも、再び自力歩行をしようとして無理なリハビリを行い、脚を骨折しています。ハッケマーも、子供の頃に乗れたのだから、今も乗れると判断して、危険を感じなかったのかもしれません。

 このような心理は、傷痍軍人に共通することではないかと、私は考えています。



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