英仏の攻撃ヘリがリビアで初陣

2011.6.6


 military.comによれば、イギリスとフランスの攻撃ヘリコプターが初めてリビアで攻撃を行い、土曜日早くに主要な沿岸の石油都市でカダフィ軍を攻撃しました。

 NATO軍は、攻撃ヘリコプターは、人口密集地に隠れるカダフィ軍の軍用車両、装備品を攻撃しました。リビア作戦の指揮官、チャールズ・ブーシャード中将(Lt. Gen. Charles Bouchard)は、戦闘は「攻撃ヘリコプターによって重圧をかける唯一の能力を示しました」と言いました。

 イギリス国防省の声明によれば、アパッチ攻撃ヘリコプターはブレガ(Brega・kmzファイルはこちら)近くの2つの目標を攻撃しました。ヘリコプターはリビア沿岸に配備されたオーシャン(HMS Ocean)から離陸して、任務完了後、早朝に安全に帰投しました。ニック・ポープ少将(Maj. Gen. Nick Pope)は、アパッチ攻撃ヘリコプターはレーダー施設と軍の検問所を攻撃したと言いました。「ヘルファイアミサイルと30mm機関砲が目標を破壊するのに使われました」。英国空軍の地上攻撃機はブレガ近くのもう一つの軍事施設と、中央リビアの巨大なワッデン(Waddan・kmzファイルはこちら)補給廠にある別の弾薬庫2ヶ所を同時に攻撃しました。

 フランスのヘリコプターは地中海上のヘリコプター空母トネール(Tonnerre)から離陸したとティエリー・ブルクハルト大佐(Col. Thierry Burkhard)は言いました。彼は軍事車両15台、軍用指揮施設2ヶ所を攻撃したと、場所の名前や位置を示さずに言いました。ブルクハルト大佐は、フランス軍のヘリコプターは軽火器で攻撃されたものの、損害はなかったと言いました。作戦は「民間人に脅威を与え続けるカダフィ軍に追加の圧力を加えることを狙っていたと言いました。

 ブレガはリビアの石油産業に戦略的に重要で、首都に向かう地中海沿岸の道路上にあります。動乱の初期、ブレガは反政府派とカダフィ派の手を行き来しましたが、最前線は街の東で固定され、ブレガはカダフィ軍の支配下のままです。

 ヘリコプター攻撃は、カダフィ軍が包囲して、無作為に反政府派が支配する地域を砲撃する西部のナフサ山脈(Nafusa mountain range・kmzファイルはこちら)の4つの町を反政府派が支配するのに成功した後に続きました。何週間もの包囲の後、5月はじめに政府軍が約7両の戦車と多くの装甲車をイフラン(Yifran・kmzファイルはこちら)に送り、近くのガラア(Galaa)を包囲したと、反政府軍の軍評議会のジュマー・イブラヒム大佐(Col. Jumaa Ibrahim)はスカイプを通じて言いました。逃げた戦士たちは政府軍を殺ぐために、この地域の知識を使いました。金曜日、反政府軍は町に入り、政府軍が前日に逃げたことを知りました。

 反政府軍は、山脈の北端に沿って走る主要道路に近いシャクシュク(Shakshuk・kmzファイルはこちら)とカスル・アル・ハジ(Qasr al-Haj)の2つの村から政府軍を押し出しました。カスル・アル・ハジは地域の町の重要な発電所を持ちます。イブラヒム大佐は、反政府派は木曜日に街を奪取し、それからバー・アイヤド村(Bir Ayyad)のカダフィ軍と戦うために移動したと言いました。

 西部山地の小さな反政府軍はトリポリを維持するカダフィ軍を脅かしそうにはありませんが、勝利は道路を解放することで地元の住民に安心感をもたらしました。

 なお、military.comによれば、米議会がリビア作戦を継続するバラク・オバマ大統領への批判を強めています。

 金曜日、下院は議会の承認なしにリビアに対する米軍を出撃させたオバマ大統領を厳しく批判しました。憲法上の権利に厳しく異議を唱え、超党派的なフラストレーションを放ちました。しかし、議員たちはリビアへのアメリカの関与を明確な終わりを命じるより厳格な決議は行いませんでした。評決は265対148で、反戦の民主党員デニク・クシニッチ(Dennis Kucinich)は共和投票87票と民主投票61票を勝ち取りました。下院は、オバマ大統領がリビア作戦について「やむを得ないような理論的根拠」を提供することができず、作戦の目的、費用、イラク戦とアフガン戦への影響について14日以内に答えを求める決議を採用しました。拘束力はないものの、この決議は米軍の使用は米兵を救助する場合にのみ使えるともしました。この記事はさらに続きますが、ここまでにします。


 攻撃ヘリコプターの初陣は近日中に行われるはずだったので、特に驚くことではありません。しかし、この記事には、他に驚くべき事柄が含まれています。

 ワッデンは砂漠の中の農村地帯ですが、カダフィ大佐はここに補給廠を設け、南部での作戦を可能にしていました。ワッデンの南東には飛行場があり、物資を陸路だけでなく、空からも運べるようになっています。民生用か軍用かは分かりませんが、付近には大型の施設があり、ここが物資の集積地点であることを連想させます。Google Earthで見ると、リビアには洗練された施設があちこちにあることが分かります。

 東部の反政府軍がブレガで止まっているというのは困りものです。反政府派の拠点につながる戦域なのに前進できないというのは、彼らの準備が遅れていることを連想させます。

 ナフサ山脈の戦闘に関する情報はとても重要です。この地域は当サイトに2回登場します(記事)。4月下旬頃から、この地域での戦闘が報告されていました。しかし、記事を読む限り、この地域ではいまや反政府派が自由に動き回り、カダフィ軍は逃げるか敗走しました。ナフサ山脈は首都から南西部やチュニジア国境への道がある場所です。ここは崖が多い険しい山地で、道路を使わない南西部へ抜けられません。だから、ここを反政府派が確保したのは、極めて大きな成果です。ナフサ山脈と南側の地域は反政府派が確保したと言ってよい状況だからです。

 カダフィ大佐はかなり追い詰められています。気になるのは、反政府派の準備がどの程度かです。準備が十分なら、カダフィ政権は崩壊するしかありません。

 反政府派指揮官がスカイプを使ったというのは、電話回線が使えないためでしょうか。インターネットは短時間使えると聞いていますが、そういう短い時間を利用しているのかもしれません。



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