ビン・ラディン水葬は妥当だったか?

2011.5.3


 今日はオサマ・ビン・ラディン襲撃の件だけになりそうですが、できればリビア情勢も書きたいと思います。

 military.comによれば、ビン・ラディンの遺体はDNA鑑定により本人と確認されました。ビン・ラディンは銃撃戦の間に頭を撃たれ、すぐに海中に埋葬されました。ホワイトハウス当局者は写真公開の利点と適切さを検討していました。

 政府高官は、DNA鑑定だけがビン・ラディンが銃殺された者の中にいたという100%の確信を提供すると言いました。CIAの写真アナリスト、ビン・ラディンの妻とされる現場の女性による確認、ビン・ラディンの身長のような身体的な特徴の合致がすべて特定を確認しました。政府高官は、ビン・ラディンは銃撃戦の終了間際頃に死亡し、空母カールビンソンに乗せられて、北アラビア海の中に埋葬されました。

 military.comによれば、ビン・ラディンの死体は儀式的に清められ、白い覆いで覆われました。ビン・ラディンの死体を海中に投入する前に、アメリカ人将校が祈り、ネイティブ・スピーカがアラビア語に通訳しました。

 防衛高官は、なぜビン・ラディンがそうした葬式の葬儀を与えられたかや、アメリカ人の軍人が3,000人以上のアメリカ人が死亡した9/11攻撃を命じた男の身体を清める仕事をしたかどうかは言おうとしませんでした。「私は、我々がそうした詳細に入り込みたくありません」と国防総省広報官、ジェフ・モレル(Geoff Morrell)は言いました。

 水葬はビン・ラディンの墓石が新しいテロリストを触発するのを避けるためかと尋ねられた時、ある当局者はアメリカはビン・ラディンを埋葬するのを受け入れる国を見つけられなかったと言いました。

 CIAと米軍のチームがパキスタンのイスラマバードから40マイル(約64km)の建物を攻撃した時、ビン・ラディンは3人の男性の仲間と共に殺されました。防衛高官がアルカイダ要員によって人間の盾にされた女性1人も銃撃戦で死亡しました。

 アメリカ・イスラム関係評議会の理事、イブラヒム・フーパー(Ibrahim Hooper)は、ビン・ラディンを水葬したアメリカの決定を擁護しました。「私は水葬についてどのような論争も理解しません」。イスラム教が埋葬に基本的に求めるのは、簡素で素早いことで、通常は死後24時間以内に行われることです。「私は彼を水葬にした主な理由は、(彼の支持者たちが)集まる(墓がある)神殿のような場所を世界に作らないためだったと思います」。

 一部のイスラム聖職者は、アメリカが水葬にしたことに怒り、イスラムの伝統に反し、アメリカに対する新しい復讐を引き起こしかねないと主張します。レバノン在住の急進的な聖職者、オマル・バクリ・モハメッド(Omar Bakri Mohammed)はAP通信に、水葬は船が適切に埋葬するのにあまりに遠い時のように、代替地がないときだけに認められると言いました。「アメリカ人はこのような埋葬によってイスラム教徒に恥をかかせたいのです。私はこれが米政権の利益になるとは思いません」。

 ドバイの高名な法学者、モハメッド・アル・クバイシ(Mohammed al-Qubaisi)は、米当局者は「彼を水葬したことは言えますが、それがイスラム教に従ったとは言えません。家族が彼を望まないのなら、イスラムではそれはとても単純です。孤島でも構わないので、どこかに墓を作り、祈りを捧げるのです。それだけです」。


 Google Earth上にはビン・ラディンの隠れ家とされる場所がいくつも登録されていますが、CNNが報じた衛星写真から本当の場所が分かりました。(kmzファイルはこちら

 住宅地から少し離れ、農地が多く、見通しがよいことから、攻撃を防ごうとする意図があったように思えます。しかし、これがヘリコプターの接近を容易にしました。周囲の家とも形が違い、容易に識別できる点も問題でした。

 Google Earthの写真は2005年6月に撮影されたもので、CNNの建物のイラスト図とは少し異なっています(写真左下の「compound」をクリックすると表示)。ですが、この図を見ると、外部からの侵入を困難にする建物の構造により、ビン・ラディンには逃げ場がなくなったことが分かります。

 CNNによると、ヘリコプター2機にバックアップされた2機のヘリコプターから突入隊員を降下させたとのことです。ビン・ラディンの住居の庭と屋上に兵士が降下すると、ビン・ラディンは建物に閉じ込められてしまいます。窓は少なく、窓があってもプライベートウォールがあるので、飛び降りるのも困難です。降下した突入隊は閃光手榴弾を部屋に放り込みながら、短時間で屋内を制圧したでしょう。

 ビン・ラディンの死体がすぐに水葬されたのは驚きました。毛髪など、DNA鑑定に使う資料や写真撮影は採取済みと思いますが、少なくともヨーロッパの基地までは持ち帰るのではないかと思っていました。若干の議論はあるようですが、埋葬した事実は残り、大事にはつながらない余地を残しました。

 まだ、アルカイダはビン・ラディンの死を公式に認めていません。この事実が組織内に浸透し、その後に何らかの報復攻撃があるかも知れませんが、それほど大きな事件はないと思えます。最近、アルカイダは大きな事件を起こしていません。お陰で、彼らの状況も分かりませんが、単純な報復攻撃よりも、アフリカやインドなどへの勢力拡大の方が気になっています。ビン・ラディンの死に関係なく、各地の不満分子がアルカイダのブランドを使用してテロ攻撃を行う可能性もあります。つまり、アルカイダの活動全体から目を離さないことです。

 それから襲撃の内容よりも、ビン・ラディンの居場所をつかんだ経緯を知りたいと思います。単なるラッキーな情報提供だったのか、地道で的確な捜査の結果かが問題です。


Copyright 2006 Akishige Tanaka all rights reserved.