後継者アル・アデルの人物像

2011.5.20


 military.comが、アルカイダの暫定指導者に選ばれたサイフ・アル・アデル(Saif al-Adel)やその他の幹部の人物像、イランとの関係について報じました。

 アル・アデルは1998年のアフリカでの米大使館爆破事件を支援したのを含むアルカイダの発起者の一人です。しかし、ビン・ラディンの指導には明白に意見が合わず、2001年9月11日のテロ攻撃に反対しました。彼はアメリカの怒りを誘発することはアルカイダの世界規模の活動に損害を与えると正確に予測しました。

 アル・アデルはアメリカのアフガニスタン侵攻の後でイランに逃げた、たくさんのアルカイダ幹部の中にいました。彼らは2003年に逮捕され、テヘラン郊外の住宅に、漠然と「自宅監禁」と呼ばれる状態に置かれました。数年にわたり、一部の者は出入りができ、アメリカはいつかイランが彼らをアルカイダの戦列に戻すと懸念しました。

 いまはロンドンの安全保障アナリストで、アフガン、パキスタン、スーダンでアルカイダにつながる元イスラム・テロリストのノーマン・ベノトマン(Noman Benotman)は、アル・アデルはビン・ラディンの永続的な後継者が決まるまで、暫定リーダーを務めると言いました。「彼らは新しい指導者を見つけるまで、日常的に組織の面倒をみる者を誰か必要としています」「それがサイフの役割です」。

 アル・アデルがどこにいるかは正確に分かっていません。一部のテロリストのアナリストと情報当局者は彼が昨年イランを去り、パキスタンのアフガンとの国境の無法地域でアルカイダに再加入したと言います。アル・アデルはFBIの最重要指名手配の中におり、アメリカは彼の逮捕に5百万ドルの懸賞をかけています。

 西欧とアラブの情報当局者は、彼らがアル・アデルが引き継いだという確証はないと言ったものの、ビン・ラディンの潜在的な後継者としての彼の出現は、アルカイダの人物がイランで拘束されていることに関する疑問を再燃させました。

 イランとアルカイダには同盟ではない、便宜上の関係がありますテヘランのシーア派は通常はスンニ派のテロリスト組織と敵対していますが、彼らは米国という共通の敵があります。アル・アデルやほかの幹部が釈放されれば、イランは国連決議に違反し、米国はそれは容認できないということを明らかにしています。しかし、アル・アデルがアルカイダの能動的な指導者の地位へ復帰すれば、それは2人の組織の上級指揮官がイラン人とつながっていることを意味します。

 もう1人は、米国がアルカイダのナンバー3の幹部と考える、アタイヤ・アブドル・ラーマン(Atiyah Abdul-Rahman)です。彼はイランに拠点を置く組織の使者で、何年もの間、彼は出入国を許されていました。アルカイダを監視する国連の当局者、リチャード・バレット(Richard Barrett)は水曜日に、ラーマンはずっと、パキスタンの部族地域の外で活動していると言いました。

 イランで拘束されるアルカイダ幹部のリストは、ポスト・ビン・ラディン時代には特に重要です。

 一人は、ビン・ラディンの活動をアイマン・アル・ザワヒリのイスラム聖戦機構と合併することで、今のアルカイダを助けたアブ・ハフス・ザ・モーリタニアン(Abu Hafs the Mauritanian 訳註:Abu Hafs al-Mauritaniとも表記されることがあります)です。

 アルカイダの長年の最高財務責任者、アブ・サイード・アル・マスリ(Abu Saeed al-Masri)は、そこで迎えられました。ビン・ラディンの広報官、スレーマン・アブ・ゲイス(Suleiman Abu Ghaith)と、数十年のテロリストの歴史を持つアルカイダの教官、ムスタファ・ハミド(Mustafa Hamid)もです。

 スパイ衛星を使って、米国は男たちがいる住居に出入りする車を監視しました。一部の情報はイランの電話の会話と電子メールを盗聴して収集されましたが、大抵、情報は限られていました。

 米国はイラン人が時々、アルカイダの幹部が旅行を許し、戻ってくるのを許す理由が分かりませんでした。彼らはサウジアラビアやパキスタン北西部に向かう密輸ルートを使うと疑われています。時折、アル・アデルの電話はイラン国内のどこかのグリッド上に現れ、米国は慌てて理由を知ろうとしました。米情報当局者は、イランは彼らを弄んでいるに過ぎないと結論しました。

 アル・アデルは、アルカイダの暫定指導者か、戦列に再度参戦しただけかに関係なく、打算的なリーダーシップと残忍な過去を持っています。アル・アデルは殺人者です。

 「彼は暴力のために暴力を使います」と、シンガポールの「the International Center for Political Violence and Terrorism Research」の長、ローハン・グナラトナ(Rohan Gunaratna)は言いました。「彼はアルカイダで最も冷酷なリーダーです。彼が安全情報部の長であった時、彼はとても多くのスパイを検挙して、処刑しました」。

 9/11調査委員会はアル・アデルが、大量の死者数ではなく、米国の対応がアルカイダの保護していたタリバンを弱体化するのを恐れたため、ビン・ラディンが世界貿易センターと国防総省に対する攻撃を行わないよう反対した大勢の高官の中にいたと報告しました。

 2006年にウェストポイントの研究者は、ビン・ラディンのリーダーシップを厳しく批判したものを含む、アル・アデルが出した2002年の手紙を公開しました。「我々は、我々が引き起こした失敗を座って検討するまで、すべての対外的行動を完全に停止しなければなりません」「6ヶ月間の間に、我々は我々が何年もかけて打ち立てたものを失っただけです」。


 アルカイダにとって、アル・アデルは現場に置いておきたい指揮官で、現場に出ない指揮官としての能力は未知数です。しかし、彼みたいな人物を選んだのは、アルカイダからメンバーが逃げることを防ぐために、一種の恐怖政治を敷くためなのかと疑ってしまいます。

 言動からすると、彼は強力な敵との戦いを避け、成果が出る場所で攻撃をするタイプのようです。これは指揮官としては有能な考え方です。しかし、中途半端な暫定的リーダーとしての立場で、確信を必要とする合理的なテロ攻撃を実施できるかは疑問です。一番恐いのは、彼が恒久的なリーダーになってしまうことです。

 こうしたことを予測するのには、情報が少なすぎます。テロリストたちの活動について、分かっていることが少なすぎるのです。幹部同士の力関係も分かりませんし、アル・アデルが本当に暫定的リーダーなのかも分かりません。世界を攪乱するための偽情報の可能性もあります。

 アフガンとパキスタン、イラクのタリバンが活動を活発化していますが、これは彼らが独自に行っていることで、アルカイダ自身の大規模なテロ攻撃は、ここ数年間起きていません。ビン・ラディンの住居からも、重大なテロの準備を示す証拠は見つかっていないようです。御本家ではなくシンパたちが活動しているのです。おそらく、アルカイダ自身はアフリカなどへの浸透作戦を行っているのだと考えられます。ビン・ラディンはアフリカで起きている民主化運動に乗っかろうとしたようですが、こうした運動がアルカイダに転じることはなく、むしろテロ廃絶の勢力となるでしょう。

 イランとの関係も未知数です。こういう状況で米国がどうするべきかというと、本土の警備を固め、地道にアルカイダ幹部を逮捕・殺害していき、テロを生む土壌を減らしていくことしかありません。いよいよアルカイダとの戦いは長期的な活動に入ったと言えるでしょう。


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