ビン・ラディン襲撃に関する新情報

2011.5.18
追加 2011.5.20 11:45


 military.comが、新しいオサマ・ビン・ラディン襲撃の詳細を報じました。記事は機密作戦を表現するために匿名を希望する米当局者による説明に基づいているようです。一部を除いて記事のほとんどを紹介します。

 作戦は当初、屋根と1階から同時に家に入り、ビン・ラディンにスクイズプレーを仕掛ける予定でした。しかし、ヘリコプターが不時着したことで、奇襲攻撃は台無しになりました。そこで、彼らは1階に突入して、家を階ごとに襲撃し、ビン・ラディンがいると考えた最上階まで行くことにしました。

 5月の特定の月のない夜に開始するという決定は、主にあまりに多くの米当局者が計画の説明を受けたことが主な理由でした。米当局者は、それがプレスに漏れて、ビン・ラディンがまた十年間姿を消すことを恐れました。

 2011年9月11日以来、米特殊作戦軍はパキスタン領内に、およそ4回の出撃を行いましたが、今回はパキスタン領内90マイルで、他のものとは違っていました。

 仕事はアフガンから戻ったばかりのシールズ「チーム・シックス(Team 6)」に与えられました。シールズは2001年以降、アフガン東部でビン・ラディンを追跡してきました。

 アフガンのジャララバード(Jalalabad)から5機の航空機が飛び立ち、チヌーク・ヘリコプター3機がビン・ラディンの住居へ行く途中の約3分の2のところの砂漠地帯に着陸しました。

 2機のブラックホークに乗っていたのは、シールズ隊員23人、通訳、カイロ(Cairo)という名前の追跡犬でした。19人が建物に入り、彼らの3人がビン・ラディンを見つけました。正確な数字が出たのは、これが初めてです。

 チヌークに乗っていたのは、予備戦力としての2ダース以上のシールズ隊員でした。

 ブラックホークは、テールローターとエンジン音を消すように設計されていました。ステルス技術の追加された重量は、貨物が少量まで計算され、天候が織り込まれたことを意味しました。夜間任務は予想よりも高温でした。

 住民が近くの軍学校を訪れたパキスタン軍のヘリコプターと思うのを期待して、ブラックホークはシールズを降下させ、2分以内に飛び立ちました。

 ブラックホーク1機は住居の上でホバリングし、シールズが中庭へロープを滑り降りることになっていました。

 2機目は、シールズを降下させるために、屋根の上でホバリングし、それからより多くのシールズ、通訳、犬を着地させることになっていました。犬は逃げようとする者を追跡し、パキスタン軍の接近を警告するためでした。

 兵士が現れた場合、計画はワシントンの当局者が彼らの出国を交渉する間、パキスタン人との武力対決を避け、住居の中に立て篭もることでした。

 2チームのシールズは、上と下からの同時攻撃において互いに邁進したでしょう。奇襲を保証するために、彼らの武器には消音装置がつけられました。2つの住居の訓練用模型で何度となくやったのと同じく、彼らはものの数分で建物を襲ったでしょう。

 計画は最初のヘリコプターが住居の上でホバリングしようとした時に崩壊しました。ブラックホークは高温で薄い空気の中で制御できずに素早く動き、パイロットに着陸を強いました。彼が着陸した時、テールとローターが、住居の12フィートの壁の上に捕まりました。パイロットは、ヘリの転倒を避けるために素早く航空機の機首を土に突っ込み、シールズ隊員は外の中庭によじ登って出ました。

 他のヘリコプターはホバリングしようともせず、シールズを住居の外に着地させました。

 いまや、襲撃者たちは戸外におり、彼らは奇襲の要因を失いました。

 彼らはこのための訓練をしており、壁とドアを通して、下から3階の家までの彼らの道をもたらす、彼らが入る道を爆薬で吹き飛ばし始めました。

 彼らは踊り場ごとに障害物を通して彼らの通り道を吹き飛ばさなければならず、家の中の男たちの1人が撃ってきた時に撃ち返さなければなりませんでした。

 彼らは男3人と、シールズに突進した女1人を撃ちました。

 ビン・ラディンの部屋のバルコニーを含む、すべての階に小さな子供の集団がいました。

 シールズ隊員3人が、3階の一番上のステップに達した時、彼らはビン・ラディンが廊下の終わりに立っているのを見ました。アメリカ人たちは、すぐに彼だと認めました。

 ビン・ラディンも、暗い家の中で薄暗く浮かぶ彼らを見て、彼の部屋の中に素早く姿を消しました。

 シールズ3人は彼が武器を取りに行ったと考え、1人ずつ彼の後をドアを通って突進しました。

 ビン・ラディンの前にいる2人の女性が叫び声をあげ、彼を守ろうとしました。最初のみならずシールズ隊員は、彼女らが自爆ベストを着ているかも知れないと恐れ、女性2人をつかんで、遠くへ押しやりました。

 彼の背後のシールズ隊員はビン・ラディンを撃ち、1発の弾丸を胸に、1発を頭に命中させました。

 それはものの数分で終わりました。

 ホワイトハウス奥のシチュエーションルームで、ビン・ラディンが見つかったという、コードワード「ジェロニモ(Geronimo)」で伝えられる言葉が伝達されました。これはビン・ラディンのコードネームではありませんでしたが、むしろ「G」という文字で表現されていました。任務の各段階はアルファベット順に名付けられており、「Geronimo」は襲撃者がビン・ラディンを殺すか捕獲した段階「G」に到達したことを意味しました。

 シールズ隊員が本人特定のために死体を撮影しはじめると、襲撃者たちは、彼らが通り抜けたドアの横の棚に、AK-47小銃とロシア製のマカロフ拳銃を見つけました。ビン・ラディンは、それらに触っていませんでした。

 それらはリストを作るために取り除かれた沢山の武器の中にありました。

 ビン・ラディンに到達するのに約15分間、次の約23分間は、女性9人と子供18人を爆発の範囲外へ連れ出すためにかき集めてから、壊れたヘリの爆破するのに費やされました。

 待機中のチヌーク1機がビン・ラディンの死体、壊れた航空機の襲撃者、武器、現場から押収された書類とその他の資料を積むために飛来しました。

 ヘリコプターはアフガンのバグラム空軍基地(Bagram Air Base)まで飛んで戻り、彼の墓の周りに聖堂が現れないことを確実にするために、ビン・ラディンの水葬に待機している米海軍艦に死体が空輸されました。

 シールズ・チームがオバマ大統領に会った時、彼は誰がビン・ラディンを撃ったかを尋ねませんでした。彼は単に隊員それぞれに感謝を言いました。

 数週間で、ビン・ラディンを殺したチームは訓練に戻り、2ヶ月で海外勤務に戻るでしょう。


 この記事で、これまで事実とされてきたことがいくつか修正されました。前に紹介した記事と比較するのも面白いでしょう(記事)。

 ヘリコプターの機数は5機でした。途中で着陸した3機中の2機にはおそらく、作戦に同行したとされるCIAの分析チームと射手が乗っていたのでしょう。彼らは現場には行かなかったようです。CIAの射手はここで護衛役を務め、周辺警戒を行ったと考えるべきです。

 シールズが1階だけから攻撃を行ったのが不思議だったのですが、当初の計画では屋根からも攻撃をすることが分かり、ようやく納得ができました。これが普通の突入作戦です。あさま山荘事件では、機動隊は一度に上階の一方からしか突入しませんでしたが、これは誤ったやり方です。最終的な突入の日、道路から3階への突入が行われる前に、1階と2階に侵入した部隊はなぜか撤収しています。1階と2階は助攻や支援本部として活用できたのに、警察はその利点を活用しませんでした。

 ヘリコプターの墜落は余計な騒音を立てて奇襲攻撃を無意味にしたばかりか、突入経路を1本だけに限定した上、余計な爆破のために騒音を周囲にまき散らして、部隊を危険にさらしました。あまり上手な作戦だったとは思えなくなりました。おまけに、それを気温のせいにしているのは責任を逃れるための方便で、「ペンタゴン用語」と言うべきです。どうせヘリコプターは爆破したのだし、隊員が口外しない限り、ヘマは証明されないというわけです。

 犬の名前が公開されたのは、米当局が犬はテロ攻撃の対象とならないと断定していることを示します。(笑)

 どちらのヘリコプターが墜落したのかははっきりしません。仮に、屋上に降りるヘリコプターが墜落しても、1階から突入する作戦に切り替える訓練もしていたでしょう。

 ビン・ラディンが狼狽した様子が感じられます。手にするべき武器も取りませんでした。妻2人は自主的な行動かは不明ですが、ビン・ラディンを守ろうとしています。ビン・ラディンがやったのは、部屋の奥まで逃げることくらいで、衝撃でほとんど行動できなかったことを示しています。シールズ隊員も閃光手榴弾を投げるのも忘れ、そのまま部屋に突入したのは、余裕のなさを感じさせます。ヘリコプターの墜落があり、少しでも早くと焦る気持ちが原因かも知れません。

 シールズ隊員が撮影したビン・ラディンの写真は、チヌークで待つCIAアナリストへ転送され、コンピュータ解析を行って、本人と確認したのでしょう。

 「ジェロニモ」の本当の意味も分かりましたが、不幸にも間違った解釈がすでに定着してしまいました。それがアメリカの先住民族を怒らせるというおまけもありました。作戦完了後の情報提供のやり方について、米政府はあまり考えていなかったようです。

 全体を見ると、あまりうまく行った作戦とは思えません。

 ヘリコプターが墜落したことで奇襲作戦の要素が薄れ、寝ぼけたビン・ラディンを生け捕りにするチャンスは簡単に失われました。いずれにしても、生け捕りにするのは、彼が病気で寝たきりのような場合以外は無理だったでしょう。生け捕りは、あくまで無理なく実行できる場合に限りという命令だったはずです。

 シールズ隊員がビン・ラディンが武器を取りに行ったと考えたのなら、彼が武器を持っているかに注意をしたはずですが、丸腰の状態でも撃っています。これはヘリコプターのアクシデントや妻の抵抗で混乱した隊員が、条件反射に近い形で発砲した結果だと思います。戦闘で心拍数があがると、誰でもこういう反応をします。

 鮮やかな奇襲作戦という印象は完全になくなりました。シールズ隊員は脇の下に冷たいものがたっぷりと流れたはずです。

 第2次世界大戦の硫黄島の戦いでも、擂鉢山山頂に翻った星条旗は、海兵隊員が激戦の中、運び上げたと報じられましたが、実際には戦闘が終わってから運ばれたのでした。どの国でも、銃後の人間が勝手に想像を膨らませ、兵士を英雄にしてしまう癖があるのは、本当に困ったものです。


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