ビン・ラディン襲撃で密約?

2011.5.11


 オサマ・ビン・ラディン襲撃について、読売新聞のインターネット版の記事がパキスタンと「米軍による単独作戦を容認する」という密約があったと報じています。しかし、この記事には情報源が何かが書いてありません。

 なので、「the Guardian」紙そのものを読むことになるわけですが、それには現役・退役のパキスタンとアメリカ当局者であると書いてあります。なぜ、読売新聞のデスクが記事を通したのかは疑問です。

 この密約は2001年にペルベズ・ムシャラフ大統領(Pervez Musharraf)とジョージ・ブッシュ大統領(George Bush)の間で取り決められ、ムシャラフ大統領が在職しながら文民政府が選挙を行った、2008年2月からの「民主主義への移行期間」中に更新されました。

 現役・退役のパキスタンとアメリカ当局者によれば、取り決めは2011年後半にビン・ラディンがトラ・ボラ(Tora Bora)の山中で米軍から逃れた後に取り決められました。

 その条件の下で、パキスタンは米軍がパキスタン領内でビン・ラディンと副官のアイマン・アル・ザワヒリ(Ayman al-Zawahiri)、ナンバー3の側近を捜す一方的な襲撃を行うことを認めます。後に両者は、パキスタンが侵略に声高に抗議することに合意しました。

 「ブッシュとムシャラフの間に、オサマがどこにいるかを我々が知ったら、我々がやってきや彼を捕まえるという合意がありました」と対テロ作戦に通じる元米高官は言いました。「パキスタンは合議を示しますが、我々を阻止しません」。

 パキスタンの高官は、取り決めがムシャラフ政権の下で取り決められ、軍により「民主主義への移行期間」中に更新したと言いました。アボタバードのビン・ラディンの住居への攻撃に言及し、当局者は「アメリカの友人について言えば、彼らはたった今、合意を実行しました」と言いました。

 元米当局者は、先週のパキスタン人の抵抗は取引の「表向きの顔」だと言いました。「我々は彼らがこのことを否定することを知っていました」。

 この合意はCIAの無人攻撃機が部族地帯で攻撃を行うことを暗に認めるパキスタンの政策と一致しています。それはWikiLeaksが昨年11月に公開した米大使館の公電で明らかにしました。2008年8月、ギラニ首相は米当局者に「彼らが適切な人々を捕まえる限りは、私は彼らがそうしても構いません。我々は議会で抗議して、それから無視するでしょう」と言ったとされます。(後略)

 military.comによれば、ムシャラフ元大統領は上記の密約を否定しました。

 「ペルベズ・ムシャラフはメディア報道を見て、そのような合意は彼の任期間中に持たなかったことを私に明らかにしました」とムシャラフ氏の広報員、ファワド・チャウダリー(Fawad Chaudhry)は言いました。彼は口頭の協定もないと言いました。

 「ガーディアンの記事には根拠がありません」とチャウダリー広報員は言いました。「そのような合意があるのなら、政府はそれを議会に諮らなければなりません。合意が何かあるのなら、米政府はそれを公にしなければなりません」。彼はムシャラフ氏は在任中常に、パキスタン国内での襲撃についてアメリカの要請を断ったと付け加えました。


 読売新聞の記事を読んだだけでは、この記事の真偽を判断できないでしょうが、原文を読めば、情報源が複数の当局者であることが分かります。そうすると、この情報はかなりの確度があると言えます。

 以前から、タリバンやアルカイダの幹部を狙うために、パキスタン北西部の部族地域でCIAの無人攻撃機が空爆を行うことをパキスタン政府が内密に認めているとされてきました。

 パキスタンのこうした二重人格的な傾向は、この国の政治を読み解く上で重要です。私も最初は信じられないほどでしたが、いまは当たり前のこととして納得しています。パキスタン人が密約を否定するのも、当然の成り行きなのです。米政府はこうしたパキスタンの性格を呆れながらも熟知しており、自分たちの作戦に利用しています。

 パキスタン政府はビン・ラディンをかくまったことは否定しつつも、アメリカからそれを調査しろと言われれば受け入れ、ビン・ラディンの妻への尋問も許可し、アメリカとの溝を埋めつつあります。


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