リビア反政府派にアルカイダはいるか?

2011.4.20


 military.comによると、アブデル・モネイム・モクタール(Abdel-Moneim Mokhtar)は、リビア東部の路上で先週カダフィ軍に待ち伏せされて殺されました。彼はアフガニスタンで聖戦を戦い、カダフィ大佐を追放するために帰国し、反政府派についていました。

 リビア政府はモクタルの死を述べる際、彼はオサマ・ビン・ラディンのグループを反政府派に結びつけようとする試みのアルカイダのメンバーだと言いました。4年前、アルカイダはモクタールが最高指揮官だったリビア・イスラム戦闘団(the Libyan Islamic Fighting Group)と同盟したと言いました。

 死ぬ2日前、モクタールは彼のグループとアルカイダのつながりを完全に否定しました。AP通信とのインタビューで、「我々はリビアの自由のために戦っているだけです」と言いました。「我々は、カダフィが殺人者で人々を投獄していることを認識しており、だから彼と戦わなければなりません」。モクタールはリビア東部で150人以上を指揮する反政府派の大隊指揮官の一人でした。

 ベンガジの反政府派の評議会広報官、ムスタファ・ガリアニ(Mustafa Gheriani)は、戦士の中にいる過激派は例外艇であり、民主主義の確立が彼らと戦う唯一の方法であると言いました。

 北西部のサブラタ(Sabratha)出身の41歳のモクタールは、ムジャヘディンがソ連が建てた傀儡政権と戦っていたとき、1990年に彼が20歳の時にアフガンに到着しました。彼はコースト州(Khost)とカンダハル州で、アメリカに支援された有名な指揮官で、いまはアフガンで最強の敵となったジュラルディン・ハッカニ(Kandahar)の下で3年間戦いました。

 シンクタンク「The Jamestown Foundation」によると、少なくとも500人のリビア人がソ連と戦うためにアフガンに行きましたが、ムクタールはいまは反政府側と一緒の戦いは少ないと言いました。帰国したモクタールと同じく多くの者たちは、彼らが1990年代中期にリビア・イスラム戦闘団を設立したと発表したときに、カダフィによって逮捕されたり、殺されました。

 モクタールはリビア・イスラム戦闘団の3人の最高指揮官の1人となったと、20年近く彼を知るもう1人のメンバー、アニス・シャリフ(Anes Sharif)は言いました。モクタールはリビア南部を担当し、カダフィ暗殺をいくつか計画しました。それには1996年に武装勢力が南部のブラク(Brak)でカダフィに手榴弾を投げつけた事件を含みます。手榴弾は爆発しませんでした。「アブデル・モネイムはそうした作戦のすべてを計画し、準備し、熟達した男でした」と、北東部ダルナ(Darna)出身のシャリフは言いました。

 アルカイダは2007年ににリビア・イスラム戦闘団との同盟を発表し、このグループは米国務省のテロ組織に加えられました。ムクタールとシャリフは共につながりを否定し、それはグループの指導層に支持されなかったと言いました。

 イギリス当局はにリビア・イスラム戦闘団が非暴力の地階を守り、アルカイダとのつながりはないと考えていますが、アルカイダのアフガン指揮官、アブ・ヤヒア・アル・リビ(Abu Yahia al-Libi)を含む、他のテログループの階層の高位の他のリビア人指揮官がいることを認めました。

 military.comによると、リビア政府は国連がミスラタ(Misrata)にアクセスすることを約束しましたが、そうした任務の間の停戦を保証しませんでした。

 military.comによると、ヨーロッパ諸国は人道支援物資を配送するのを確実にするために軍隊をリビアに送る準備ができており、イギリスは火曜日に反政府派に助言するために軍高官を派遣すると言いました。人度支援を護衛するために部隊を派遣するという提案は、カダフィ政権から軍事作戦に等しいという警告を受けました。フランス外相もそうした派遣に反対すると言いました。

 世界食糧計画(WFP)の広報官、エミリア・カセラ(Emilia Casella)は、国連機関がリビア赤新月社と、西部リビアに人道的な回廊を開くことで合意したと言いました。WFPのトラックはすでに1ヶ月あたり50,000人分の食事を運んきています。食糧はトリポリ(Tripoli)、ジンタン(Zintan)、エフリン(Yefrin)、ナルト(Nalut)、メズダ(Mizda)、アル・レイバ(Al Reiba)、ザウィヤ(Zawiya)のリビア赤新月社を通じて配送されます。


 記事は大幅に要約しているので、気になる方は原文をお読みください。

 リビアの反政府派にアルカイダが食い込んでいれば大変なことでしたが、この記事はそうした心配はほとんどないことを示しています。とても安心しました。

 同時に、モクタールが東部で待ち伏せされた点が気になります。彼の居場所をカダフィ政権がつかみ、狙って攻撃したのでしょうか。だとすれば、カダフィ大佐が彼らのグループを異常に恐れていたことになります。

 ヨーロッパのリビア戦略は本当に場当たり的です。今ごろ、軍高官を派遣するなど、機を失しているというものです。人道支援を軍隊が護衛するというのも、これを機にリビアに軍事介入するような印象を与え、人道支援の意味を失うかも知れません。カダフィ大佐も、ヨーロッパ諸国も、自分のことしか考えていないみたいです。



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