混乱する週刊誌の原発事故報道

2011.4.19


 週刊誌の記事から、気になる部分を指摘します。

 週刊「新潮」4月21日号が、週刊「ポスト」4月22号が週刊「現代」4月16日号の福島第1原発の事故に関する煽り報道を批判したと書き、マスコミ同士が互いを論評する事態になっています。

 「新潮」からすれば、「現代」や「ポスト」は二流の雑誌と言いたいようです。しかし、報道は大勢のスタッフが関わっているもので、よい記事もあれば、ダメな記事もあります。雑誌の銘柄だけしか気にしないのは、情報分析としては最悪であり、私は記事を書いた人の顔を想像しながら読むことにしています。「新潮」は原発事故にかなりのページを割いたのに、使える記事が少ないのが問題です。それなのに、他誌を批判するのは不当です。

 たとえば、「放射線防護住宅」について書いた記事はナンセンスです。あたかも、住宅メーカーが鉛で囲まれた住宅を企画しているかのようなタイトルなのに、その事実を示せず、建築家が作り方のコンセプトを説明するだけで、原子力の専門家から核シェルターでなければ無意味と言われています。記者の思いつきで「放射線防護住宅」みたいなものがあるのではないかと取材したら、否定的な材料ばかり集まり、仕方なく無理やり記事の形にしたとしか思えない書き方です。記者には、あきらかに問題に対する基礎知識がないのです。

 鉛の家は、たとえ一室でも鉛で完全に密閉する必要があり、そのために家の重量が増加して、耐震性が犠牲になることくらい、誰の目にも明らかです。放射線を遮断するのには、土とコンクリートが最善です。だから、核シェルターは地下に作るのです。入り口のドアは二重で、コンクリート充填か金属製で、換気システムは放射線も除去するものを使います。

 簡易シェルター機能がある部屋もあり、これには地下シェルターと同じ換気システムが装備された部屋です。地下シェルターに比べたら能力は低いものの、低レベルの原子力事故で安心は得られます。さらに、屋内に特殊なテントを張り、それに換気装置をつける簡易シェルターもあります。壁を鉛にするよりは、この方がよいでしょう。福島第1原発の事故が現状のままなら、簡易シェルターで十分すぎるくらいです。記事は鉛の部屋には数千万円かかると書いていますが、地下シェルターもそれくらいはかかります。簡易シェルターなら、もっと安く作れます。テント式なら百万円以下です。どれを使うべきかは明白です。こんなことは、少し取材すれば分かったはずのことです。

 「新潮」には、放射線防護学の専門家、高田純教授が放射能の計測を行いながら、防護服なしで福島第1原発正門前まで行ったレポートもあり、計測値は参考になるものでした。ただ、この記事には計測した日時が全部書いておらず、高田教授が4月6日に札幌を出発したこと、正門前の計測が10日の昼下がりだったことしか分からないという問題があります。計測場所も町の名前しか書いてありません。

 このように、報道記事なのか読み物なのかが分からない書き方から抜け出せないところに、日本のマスコミの問題があります。たとえば、先の記事にも「門扉の前でも淡々とした表情のままの高田教授」と、記者が見たかのような記述があります。しかし、記者が高田教授に同行したとも書いておらず、記者の想像としか思えません。これは報道記事の筆法として認められるべきではありませんが、常用されています。報道記事は小説とは違い、都合が悪い部分を読者から隠してはいけないのです。

 しかし、その一方で、川崎市に危険のない実験用小型原子炉があると書いています。こんな情報は事故に関係なく、単に恐怖を煽る効果しかありません。これが「新潮」が批判する煽動的報道でなくて何なのでしょう。紙面全体を見ると、私には「新潮」も「現代」も内容は大差がないように見えます。

 週刊「文春」4月21日号にある、4月4日のテレビ会議で、福島第1原発側が本社や政府の態度に怒り、窒素注入に関する意見が対立したとき、吉田昌郎所長が「もう、やってられねえッ!」と激怒したという記事は読む価値がありました。

 記事には、圧力容器が破壊されることはあり得ず、チェルノブイリ事故は日本では起こらないというものと、圧力容器の破壊があり得るというものの二種があります。状況がいずれかで、被害はかなり異なります。圧力容器が破壊されるのはチェルノブイリ型の事故です。すでに制御棒が燃料棒に差し込まれ、核反応が止まっているというのが、前者の論者の根拠です。

 「現代」4月23日号は「1号機からはヨウ素131とテルル129が検出されている」というアーノルド・ガンダーセン氏のコメントを引用し、1号機内部で海水中の成分と燃料棒が反応し、核分裂の小さな連鎖反応が起きていると指摘します。さらに、原発推進派たちが3月30日付けで出した「建言書」には、圧力容器の破壊を排除できないと書いています。

 比較して、「新潮」は「温度も放射線量も3月11日の停止から、7日後で最初の10分の1、49日後には100分の1になる」高田教授の言を引用しているように、これ以上の悪化はないと言っています。

 炉心は停止していると安心すべきではないと、私は考えます。すでに地震と津波、水素爆発、海水・真水・窒素の注入により、原子炉は当初の状態ではないと考えるべきです。トレンチに放射能を持つ水が溜まることなど、事故前には誰も想像しなかったはずです。いま、原子炉の建屋内で、次々と大量の放射能を持つ水がみつかり、今後の作業が難しいことを物語っています。想像できないような理由で、原子炉が大きく破壊される可能性を視野に入れながら、この問題を考えていくべきなのです。4号機の使用済み燃料プールがグラグラと沸騰している写真が示すように、使用済みの燃料棒すら、冷却水がなくなるとこれだけの発熱をするのです。原子炉も冷却がストップするような事態が再び起これば、何が起きるか分かりません。現段階では、安心などあり得ないのです。

 なの、上記の建言書はネット上にもあり、「福島原発事故についての緊急建言」で検索すれば見つけられます。



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