ミスラタで戦況が好転?

2011.4.14


 和平交渉で戦況が見えにくくなっているリビア情勢ですが、BBCmilitary.comの記事などを見てみました。

 トリポリで爆発が報告され、あとでNATO軍が首都の13km東にある軍用品壕を攻撃したと言いました。NATO軍の航空機がアル・アジジヤ(al-Aziziya)とシルト(Sirte)の間の街を攻撃したと、国営テレビが報じました。反政府派はミスラタ(Misrata)の中心部と東部で激しい戦闘があると報告しましたが、政府軍に対して進展があると言います。また、記事に掲載された地図では、カダフィ軍がアダビヤ(Ajdabiya)を攻撃したことになっています。毎日新聞の記事では、反政府派はこの攻撃を撃退しました。

 military.comによれば、NATO軍はシルトの弾薬庫を火曜日に空爆し、首都から75マイル(120km)南西にあるジンタン(Zintan)近くで戦車12両を破壊したと言いました。


 ここ数日、政治的な動きばかりが報じられ、戦闘がどうなっているのかが分からなくなっていました。

 ミスラタでの進展がどんなものかを知りたいと感じました。ここはロケット砲による攻撃にさらされて、大きな犠牲が出ていると報じられています。NATO軍が港に支援物資を投入したとか、何か理由を知りたいところです。もっとも、NATO軍の行動が少ないという批判はフランス外相からも出ており、私も大きな動きが見えないことを疑問視しています。外側から支援する形を作るだけでなく、積極的に行動すべきです。それには、ミスラタに強力な物資支援が不可欠と考えます。賑々しく国際支援を決定し、活動は控えめでは意味がありません。ミスラタの重要性を考えると、現在の支援では不十分です。

 ところで、SAPIO2011年4月20日号に、落合信彦氏が書いたカダフィ暗殺未遂の話が書いてあります。

 1970年代、元SASの傭兵ゲイル・リバースがMI6の依頼でカダフィを暗殺しようとしたけども、影武者を殺してしまったという話です。リバースはエジプト国境からリビアに入り、砂漠を進んで、カダフィが祈りを捧げるのに使うテントの近くで、砂漠の砂の中に身を潜めました。カダフィが現れるとブローニング2丁、各9発をカダフィの影武者に撃ち込み、追っ手を撒いてエジプトに戻ったということです。

 この話にはリアリティを感じません。

 どうやってエジプトから、暗殺現場と考えられるリビア西部まで行くのかが問題です。エジプト国境からトリポリまでは、直線距離で1,000km以上あります。記事には移動手段が何も書かれていません。しかし、徒歩で行くのは無理でしょうし、それでは追っ手を振り切れないでしょう。車に予備のガソリンを沢山積んでいったのでしょうか。GPSがない時代に、砂漠に立てられたテントを自力で見つけられるかどうかも疑問です。カダフィがいつも同じテントで祈りを捧げるとも思えません。

 ブローニング社は機関銃は作りましたが、ライフル銃は作ったものの、狙撃には向かない機種です。また、装弾数9発でブローニング社が製造した拳銃はありません。定評のある軍用拳銃ブローニング・ハイパワーの装弾数は13発です。ブローニングの設計でコルトが製造・販売したM1903なら9発を装填できますが、これは32口径で、暗殺に使いたい拳銃ではないでしょう。

 カダフィはテントで祈りを捧げるときに、周囲に護衛をまったく置かないのでしょうか?。どうやって、リバースは数十メートル以内に接近して、合計18発をカダフィに発射できたのでしょうか?。その後、どこかに隠してあった車まで走って戻り、逃げ帰ることもありそうにない話です。

 こういう暗殺は単独の殺し屋が行うようなものではないと思われます。数十名のチームが行うに相応しい内容です。何かの間違いではないかというのが、私の見解です。



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