カダフィ軍がさらに後退か

2011.3.3


 ワシントンポストによると、反政府派は水曜日にカダフィ軍の主要な石油出荷港ブレガ(Brega)に対する地上戦と航空戦を押し返しました。

 リビア第2の都市、ベンガジ(Benghazi)では、新しい暫定政府の評議会は、反乱をカダフィ軍の攻撃から守るために、外国に空爆とリビア上空に飛行禁止区域を設けるよう依頼しました。評議会広報官のアブドル・ハフィズ・ゴーガ(Abdul Hafiz Gogha)は、組織が外国政府に抵抗に味方をしている大使館とだけ対応して欲しいと望んでいると言いました。

 トリポリ(Tripoli)では、カダフィ軍が反政府デモに参加した人々を対象にした急襲を開始し、大勢を彼らの家から拘束しました。

 アダビヤ(Ajdabiya)へのカダフィ軍の攻撃は、最初はこの東部の街にパニックを起こしました。カダフィ軍は60台以上の装甲車両で到着し、地域を砲撃しました。反乱軍はその後に反撃しました。軍用機がアダビヤの弾薬庫近くに爆弾を落とし、港と街の中心部を攻撃しました。反乱軍は港を維持すると決め、機関銃、AK-47自動小銃、ロケット推進擲弾筒、バズーカ、対空機銃、鉈や肉串まで持って、殺到しました。何百人もの男達が旧式の軍用品を車から降ろして、前線へ向かう若い兵士に与えました。何人かはもっと武器を得るためにベルガから戻りました。「こうした小火器は十分ではありません」と、モハマンド・サルタン(Mohammed Sultan)は、彼がカダフィ軍を攻撃するのに使ったライフル銃を振りながら言いました。

 リビアの石油輸出の拠点、ブレガでの戦闘は、カダフィ大佐がトリポリの支持者達に「リビア人の最後の血の一滴まで戦う」と言った時に起こりました。米軍当局者は、ブレガの戦闘が荒れ狂うときに強襲揚陸艦2隻(キアサージとポンス)が地中海に到着したと言いました。空母エンタープライズは紅海に残りました。当局者はそれが直ちに地中海へ送られるかどうかを言いませんでした。街の西側にあるブレガの主要道路を見下ろす白い砂丘で、反政府戦士はカダフィ軍の砲撃から彼らを守る小さな丘の背後で待ち伏せをしました。反政府戦士は、カダフィ軍は石油施設と港から押し戻され、弾薬切れになった後で包囲されたと言いました。午後6時までにはカダフィ軍は交替し、街は奪還されました。

 約5,000人の反政府戦士はトリポリに向かう前に、カダフィの故郷、シルト(Sirte)に移動するために向かいました。オマール・サルタン(Omar Sultan)は、他の戦士と再集結するためにベルガの西15マイルへ向かっていると言いました。何十台ものトラックが西へ向かいました。何人かは兵士、特殊部隊のメンバーで、その他は僅かかまったく訓練を受けていない若者でした。

 また、BBCは水曜日の出来事の詳細をまとめています(記事はこちら)。

BBCによる3月2日の状況

リビア全土(地図は右クリックで拡大できます)


 記事の一部を要約しました。上の地図で場所の確認ができます。

  前日の記事から比べて、明らかに西部に前線が移動しています。カダフィ軍は反撃に出る度に反政府勢力に押し戻されています。ブレガではカダフィ軍は弾薬がなくなるまで戦っており、覚悟のほどが知れます。しかし、都市を攻撃して奪取するには大量の兵力が必要で、それだけの兵士は集められないのでしょう。

 まだ、西欧による軍事支援が始まったという報道はありませんが、どの程度の影響力がなされているのかが気になるところです。アメリカが本格的に軍事介入を決めた際は、エンタープライズが地中海に入るはずです。そうしないと、戦闘機がトリポリ方面で十分な航空支援ができません。リビア支援はNATO軍に譲る可能性もあります。地上軍の投入は可能性は低いままです。あっても、特殊部隊を限定的に使うくらいでしょう。

 カダフィ軍が都市を攻めるのが難しいように、反政府側がカダフィ軍が守る都市を攻めるのは困難です。外国の支援はその頃になされるかも知れません。アメリカの株価が中東の動乱以降に下落しました。この動乱が収まれば株価が上がるのは当然で、オバマ政権としては、できるだけ早くに問題を克服したいところです。それでも、投資家が戻ってくるには数週間から1ヶ月くらいはかかるでしょう。数日中にミスラタが陥落するようなら、決着は早いかも知れません。



Copyright 2006 Akishige Tanaka all rights reserved.