占拠抗議活動の退役軍人が経歴詐称

2011.11.26


 military.comによれば、イラクとアフガニスタンで従軍したという「バッファローを占拠せよ運動(the Occupy Buffalo movement)」の献身的なメンバーの主張が陸軍の記録で裏付けられないという問題が起きています。

 クリストファー・M・シマンス(Christopher M. Simmance)は、複数のメディアに、彼はこれらの戦域で3年間勤務し、アフガンで負傷したと言いました。

 陸軍から得られた記録は、彼が3年間フォート・ルイス基地(Fort Lewis)に配属され、同時多発テロ以前の2001年1月に退役したことを示します。

 シマンスは陸軍の記録は不完全だと主張します。彼は「The Buffalo News(以下、The News)」で戦闘に参加したという彼の主張に立ちました。「私があなたに言ったことは完全に真実です。隠すことはありません」。

 シマンスに近い人たちは「The News」に最初は戦時派遣を信じましたが、彼が軍歴を誇張していたことを知って幻滅したと言いました。「私は彼が言ったことを何も確認できません」と彼の母親、デニス(Denise)は言いました。

 10月23日のインタビューで、彼は陸軍特殊部隊の2等軍曹で、アフガンでRPGによって負傷したと言いました。

 10月11日の「Channel 4」のウェブサイトは、シマンスを陸軍特殊部隊の軍曹としました。彼はこのテレビ局にアフガン、イラク、ガザで戦闘に参加し、負傷のために10年間しか軍にいられなかったと言いました。

 シマンスは2008年2月に最初に「The News」でインタビューされ、彼は2001年に中東で平和維持軍に参加したと言い、アフガンやイラクには言及しませんでした。

 2008年11月、別の記事でシマンスは4つの処方薬を飲み、PTSDのために4、5人の精神科医の診療を受けたと言いました。

 陸軍広報は「The News」への回答で、記録はシマンスが1998年1月12日から2001年1月11日まで現役であったことを示すと言いました。記録によると、シマンスは給与等級「E4」の技術兵で退役し、現役中はフォート・ルイス基地にハイゾクされていました。彼の第一の職種専門技能(MOS)は歩兵で、第二のMOSは迫撃砲でした。記録上、シマンスは海外の戦域で勤務したことを示す勲章や賞を何も与えられていません。

 2000年のイエメンでの駆逐艦コール(USS Cole)爆破事件の後、彼はガザ地区にも送られたと言いました。彼はエジプトとサウジでも勤務したと言いました。

 2001年に彼は最初にアフガンに派遣され、「エラの谷(Valley of Elah)」に派遣されました。エラの谷は聖書のダビデとゴリアテの戦いの場で、2007年公開の映画のタイトルでもあります(原題「In the Valley of Elah」 邦題「告発のとき」)。アフガンにはエラの谷はありません。

 2004年、彼の部隊はイラクに派遣されました。勤務した場所を尋ねられ、彼は「ルート・アイリッシュ(Route Irish・日本未公開)」と言いました。バグダッドの国際ゾーンとバグダッド空港をつなぐ道路を指す軍事用語です。それは2010年公開の外国映画のタイトルでもあります(日本未公開)。

 2006年2月から2007年3月まで彼は再びアフガンのエラの谷にいて、その派遣から戻ったあと、2007年4月にアフガンのコンゴ谷(Congo Valley)へ派遣されました。

 アフガンにコンゴ谷はありません。退役軍人病院で彼に会ったブレット・マンデル(Bret Mandell)は、シマンスが2010年公開のドキュメンタリー映画「レストレポ(Restrepo)」の舞台、「コレンガル峡谷(the Korangal Valley)」と言い間違えていると思うと言いました。

 シマンスは最後の派遣の最中、2008年に6月にRPGで顎と肋骨を折り、体内に傷を負いました。


 以上は記事の半分程度の要約です。残りも立証できないシマンスの主張が続きますが、もう十分だと思うので止めました。

 非常に残念な事件です。

 シマンスは歩兵と迫撃砲だけの技能で、引け目でもあったのでしょうか?。3年で技術兵で退役でも立派なものです。普通、技術兵には入隊後2年2ヶ月くらいで昇進します。技術兵は兵卒の最高位で、その上は下士官の伍長です。伍長と技術兵は給与は同じですが、責任や住む世界が異なります。しかし、シマンスの昇進速度はごく普通です。

 彼が軍歴を偽った理由は分かりません。しかし、アメリカみたいな国では、軍歴を大きく見せることで、徳をする場合があります。しばしば詐欺にも軍歴詐称が用いられます。そうしないと注目を浴びることができないという不安が、こういう行為を生むのでしょう。

 また、この記事が取り上げた映画の影響も多いと思われます。劇映画は描くべき問題を強調したストーリーを採用する場合が多く、戦争映画の場合、様々な誇張が行われます。それは拙著「ウォー・ムービー・ガイド 映画で知る戦争と平和」や当サイトの「ハートロッカー」の作品評で書いた通りです。劇映画は問題として取り上げたい事柄を、実際よりも大きく表現して観客の理解を誘うものです。こうした手法を理解しないと、間違った現実感を身につけてしまいます。

 軍隊が幅をきかす国では、こういう事件が起きることは記憶しておきましょう。



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