カダフィ処刑で頭部に被弾は誤り

2011.10.27


 昨日書いた分析をさらに検討しました。国内メディアはカダフィが処刑により頭部に被弾したと半ば断定的に報じていますが、これには疑問があります。

 カダフィの死体を見た記者は弾痕が頭部左側、胸、腹にあったと言っています。JNNによると、カダフィと最期まで行動を共にしたユニス・アブバクル氏は、カダフィが味方が投げ損ねた手榴弾で負傷したと言いました。「彼が手でスカーフを下げると、血が流れていました 。首の後ろあたり、大きな傷口だったと思います」とユニス氏は証言しています。

 しかし、傷の位置と大きさに関する証言は信頼が出来ません。拘束直後のカダフィの映像は頭部左側と左肩、胸付近に血痕が見られるものの、背中には一切ないからです。首の後ろに大きな傷があったという暫定政権側からの発表もありません。戦闘中の興奮で記憶が混乱することは珍しくなく(参考書籍はこちら)、ユニス氏は頭部左側面の傷を間違って説明しているのだと思われます。手榴弾の爆発があったという証言は比較的信頼できます。一方で、攻撃していた暫定政権軍から見ると、自分たちの攻撃でカダフィが負傷したように見えるのは道理です。最終的にこの謎は司法解剖により決着すべきですが、解剖は行われず、死体は秘密の場所に埋葬されており、すでに手遅れのようです。

 頭部の傷は拘束直後にはあり、大量の出血が確認できます(写真1)。さらに死体の写真には銃弾の大きさ程度の穴が頭部左側面に確認されます(写真2)。

写真1
写真2

 傷は弾痕のように見えますが、手榴弾の爆発により何らかの破片が突き刺さった可能性も考えられます。 この傷が弾痕だとしても、処刑の可能性は非常に小さくなります。近くから発砲したのなら、弾痕周辺に火傷の跡があり、髪の毛が焦げているはずですが、そうした痕跡はありません。 また、威力が弱い拳銃でも、近くから撃てば弾丸は脳の奥深くに入り込み、カダフィの意識を失わせたはずです。しかし映像では、カダフィは歩き、言葉も発しています。弾丸は何らかの理由で運動エネルギーを失ってからカダフィに命中したのです。たとえば、弾丸が排水パイプの壁面に当たって跳弾になったことが想定されます。弾丸はカダフィの骨を貫通しなかったか、その直後で止まり、脳を大きく損傷しなかったと考えられます。これは銃弾ではなく、手榴弾爆発による破片の傷だった可能性も強めます。こうした破片は銃弾ほどの運動エネルギーを持ちにくいからです。

 一方で、胸部と腹部の傷は多分、写真の3の中央にある黒い部分です。検死官の中には肝臓への被弾が致命傷だったと言う者がおり、この傷が肝臓に当たったと考えることは可能です。ただし、解剖が行われていないので、本当に肝臓に被弾があったかは不明です。

写真3

 これら2カ所の傷からも大量に出血するはずですが、拘束直後の映像には腹部に出血が見られません。これが傷ならば、この映像で腹部に血が付いているのが分かるはずです。また、頭部に加えて2ヶ所の銃創がある場合、カダフィが自力歩行できたとは考えられません。少なくとも救急車に乗るまでは、カダフィには胸部と腹部の傷はなかったと思われます。

 救急車で野戦病院へ運び、オウェイブ氏はカダフィがここで治療を受けられないと判断し、空輸を決断して滑走路へ向かいます。その途中で医師がカダフィの死亡を宣告します。私には、この部分のオウェイブ氏の説明が唐突で、不自然に感じられます。多分、この医師はカダフィを生かしておくために、野戦病院から同行したのでしょう。オウェイブ氏が打ち合わせのために救急車を離れた間に、誰かがカダフィの胸と腹を撃った可能性が出てきます。カダフィはそれによって死亡したのです。一番考えやすい犯人はオウェイブ氏の部下です。オウェイブ氏は部下を庇って、肝心のことを口にしていないのかも知れません。



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