カダフィ大佐が死亡

2011.10.21


 BBCによれば、リビアのムアマール・カダフィ大佐(Col Muammar Gaddafi)がシルト(Sirte)で拘束された後で死亡しました。

 マームド・ジブリール首相(Prime Minister Mahmoud Jibril)は大佐の死を発表し、後に大佐はカダフィ派と暫定政権軍との十字砲火の中で殺されたと言いました。彼はカダフィ大佐は生きて拘束され、病院に到着する数分前に銃創で死亡したことを確認しました。ビデオ映像は彼が通りを引き回されたことも示します。アルジャジーラが放送した映像からは、彼がその時に生きていたかどうかは不明です。オバマ大統領は、専制君主が倒れた今はリビアのために重要な時だと言いました。

 報道によれば、彼は2人の息子、ムタシム(Mutassim)、サイフ・アル・イスラム(Saif al-Islam)と共に、シルトで最後の抵抗をしていました。モハメッド・アル・アラギ法務大臣(Justice Minister Mohammad al-Alagi)は、サイフ・アル・イスラムは足を負傷して病院に運ばれ、ムタシムは木曜日の戦いで死亡したと言いました。

 NATO軍は木曜日早くに空襲を行いました。フランスのジェラード・ロンゲ国防大臣は、フランスのジェット機がシルトから逃げるカダフィ大佐の車列に停止するように警告弾を撃ったと言いました。彼はそれからリビアの戦闘員が殺到して、大佐を拘束したと言いました。

 国際ニュースチャンネルに報道された映像はいずれも独自に確認されていません。

 ジブリール氏は大佐の死を確認するために記者会見を開きました。「我々は長い間、この時を待っていました。ムアマール・カダフィ大佐が殺されました」。あとで、彼はジャーナリストに、法医学的な報告が拘束された車で連れ出された後で、銃による負傷で死亡したと結論したと言いました。「車が走っている時、暫定政権軍とカダフィ軍の十字砲火に捉えられ、その中で彼は頭部に被弾しました」「法医学者は、弾が暫定政権とカダフィ軍のどちらのものかを言うことは出来ません」。

 これより先に、一部の暫定政権の戦闘員は、彼は逃げようとして撃たれたと言い、大佐の死について異なる報告をしました。ある戦闘員は穴の中に隠れているのを発見したと言いました。彼は撃たないように彼に頼みました。戦闘員は記者に、カダフィ大佐から奪ったという黄金の拳銃を見せました。アラビアのテレビ局は、カダフィ大佐が発見された排水パイプ2本を包囲する兵士を示しました。

 以下は捕らえられたカダフィ大佐を撮影したとされるビデオ映像です(不快な内容を含んでいるのでご注意ください)。


 大佐の死亡時の状況がよく分かりませんが、死亡したことは間違いがありません。BBCのニュースでインタビューに答えた兵士の1人は、大佐は腹に被弾したと言っていました。誰もが、自分がカダフィを殺したと言いたい気分のようです。この辺の話は情報が整理されるのを待つしかなさそうです。

 唯一の証拠とみられるビデオ映像はカダフィ大佐が拘束された時にはまだ生きていて、出血していたことが分かります。「アッラー・アクバル!(神は偉大なり」と歓喜の声があがります。大佐の肩の付近に出血が見られるので、これが頭部への被弾の結果なのでしょう。その後、大佐は荷台から降ろされて、通りを歩かされています。言うまでもなく、頭部に負傷した者を自力で歩かせることは極めて危険です。この映像には病院らしい建物は見えません。彼を拘束した者が本気で彼を病院へ連れて行こうとしたかは疑わしく、死んでも構わないと思っていたように見えます。この扱いは疑問を提示されるべきです。



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