暫定政権がバニ・ワリドを占領

2011.10.18


 BBCによれば、リビアの暫定政権軍はバニ・ワリド(Bani Walid)を占領しました。

 暫定政権軍広報官、アーメド・バニ(Ahmed Bani)は中心部を含めた街の90%が解放されたと言いました。暫定政権軍はバニ・ワリドを数週間包囲し、多くの犠牲を出しました。シルト(Sirte)では、まだ中心部を占拠するカダフィ派と戦っています。シルトにいるワイア・デーヴィス記者(Wyre Davies)は、暫定政権軍は前進を阻む狙撃兵の攻撃を抑えるために、大砲とロケット砲に依存しています。

 バニ氏は暫定政権軍はバニ・ワリドで多くの犠牲者を出したものの、その数を提供することを拒否しました。戦闘員が街に入ると、祝砲が鳴り響きました。部隊は北と南から街の中心部で出会うように挟撃を行い、中心部の城を占領しました。歓喜した戦闘員は赤と黒、緑の新政権の旗をモスクやその他の建物の上に掲げ、追放された政権のすべてが緑色の紋章を取り壊しました。

 目撃者は霊安室にいくつかの腐乱した死体が横たえられたがある街の病院に死臭が広がっていると言いました。赤十字国際委員会のチームが重要な医薬品を持って到着したあとで、病院は再び患者を収容し始めました。しかし、病院に電気はなく、いくつかの病室は砲撃で破壊されていました。バニ・ワリドはカダフィ大佐が最後の抵抗をするかも知れないと言われた街ですが、彼の所在は不明のままです。

 日曜日にカダフィ派のテレビ局はカダフィ大佐の息子、カミス(Khamis)が8月末に死んだという報道を確認しました。シリアに拠点を置くアル・レイ・テレビ(Arrai television)は、彼がタヒュナ(Tarhouna)の暫定政権軍との戦いで死亡したと言いました。

 イギリスの外務大臣、ウィリアム・ハーグ(Foreign Secretary William Hague)は月曜日にトリポリを訪問しました。イギリス大使館は完全に修復するまでに2年間かかります。日曜日に、トリポリでは、カダフィ大佐の住居だったバブ・アル・アジジヤ(Bab al-Aziziya)をブルドーザーで壊し始めました。


 シルトの陰になって、バニ・ワリドの戦闘についてはほとんど報道されませんでした。しかし、北と南から挟撃したというのは、以前に予測したように、街の東側から南側に移動し、そこから西へ向けて進撃するような形を取ったのだと考えられます。「城」がどこにあるのかは、まだ分かりませんが、それほど重要ではなさそうです。犠牲者の数が気になります。でも、これで暫定政権は、次のステップに進めるでしょう。



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