エジプトの大規模デモは政変を導くか?

2011.1.31


 エジプトで起きたホスニ・ムバラク大統領(President Hosni Mubarak)の退陣を求める大規模なデモについて、国内で報道されていないことや気になることを中心に記事を2件紹介します。

 28日付けのmilitary.comで私が気になるのは、ノーベル平和賞受賞者モハメド・エルバラダイ氏(Mohamed ElBaradei)の動向です。エルバラダイ氏は一時自宅軟禁になりましたが、その後復帰し、反対を政権交代に導く準備ができていると述べました。

 30日付けのmilitary.comによれば、武装した男性の集団が少なくともエジプトの4ヶ所の刑務所を土曜日に襲撃し、数百人のイスラム武装勢力とその他の何千人もの収容者を自由にしました。

 アメリカはエジプトにいる米国民に出来るだけ早くに出国することを検討するよう言い、ワシントンがアラブで最も親しい国の安定性についての懸念の増加を示しました。

 エジプト陸軍は数百人以上の兵士と装甲車両をカイロ市とその他の街へ送りましたが、車を壊し人々から略奪する銃と長い棒を持った若い男性の集団に対してほとんど何もしていません。少なくともナイル川沿いにあるショッピングモール1軒が略奪された後で燃えました。

 エジプト社会のすべての階層から来たデモ参加者たちは、1週間近くムバラク大統領の退陣を求めてデモ行進を行いました。ムバラク大統領は土曜日に情報部長のオマル・スレーマン(Omar Suleiman)を副大統領にしましたが、抗議者他の多くは、彼らが貧困、失業、広範な汚職、警察の蛮行を非難する政権の完全な免職を望んでいます。

 陸軍は土曜日の午後までにいくつかの通りでより厳しい措置を取っているようでした。カイロ中心部のタハリール広場(Tahrir Square)で、戦車の隣で警備に立つ2人の兵士は民間人の服を着た数人の若い男性の身分証と到着した何百人の抗議者のバッグをチェックしていました。彼らは広場に入ろうとした20代の男性が持っていたビニール袋から台所用の包丁を見つけました。兵士たちは男性と格闘して地面に押し倒し、彼を叩いて、戦車の中に連れ込みました。

 エジプト治安当局者はカイロ北西部の1ヶ所を含む4ヶ所の武装勢力を拘留する刑務所で、武装した男たちが警備員と数時間銃撃戦を行いました。囚人たちは火災と警備員との衝突が起きると逃げ出しました。匿名の保安当局者は、囚人数名が死傷しましたが、特定の数字は伝えられないと言いました。

 警察が首都といくつかの主要都市の通りから姿を消したため、略奪と放火は夜明けまで続きました。警察がいなくなった理由の説明はありませんでした。彼らが去ったことによる真空状態は、住民が銃、スティック、棍棒で武装して近所を保護するグループを作ることを促しました。市民たちは検問所とバリケードを作り、脇道を塞ぐためにレンガと金属製の交通障壁を用いました。カイロの一部の交通整理を行う若者のグループは通過する車を壊している集団を追い払いました。住人たちはギャングは人々を通りで止め、略奪していると言いました。

 高級住宅地のザマレク(Zamalek)では、エジプト人が食糧、水、その他の日用品を買おうとして店の前に長い行列が続きました。店はほとんどの品物、特にボトル入りウォーターが不足しているようでした。ある店では水が通常の3倍の値段で売られていました。

 エジプト国立テレビ(State Egyptian television)は、権威筋がアルジャジーラのカイロ支局を閉鎖し、記者の公認を停止することに決めたと報じました。同局はこの理由を提供しませんでしたが、エジプトの権威筋は同局のエジプトでの出来事の報道がセンセーショナルで、ムバラク政権に偏見を持っていると批判してきました。


 今日までに、デモ参加者たちがムバラク大統領が退陣し、エルバラダイ氏がその座に就くことを望んでいることが明らかになってきました。エルバラダイ氏のような人がエジプト大統領になることは、西欧諸国にとって歓迎でしょう。国際社会をよく知る人物なら、エジプトの民主化に大きく貢献してくれると期待できるからです。それは日本も同じだと考えます。

 刑務所を襲撃したのが誰かは不明ですが、一般のデモ隊とは関係があるかは不明です。武装勢力が仲間を取り戻しに来たと考えた方が当たっている気がします。

 軍隊の動きは強まっているものの、比較的低調です。戦車に人々がのぼっているのは、ソ連崩壊時にも似た光景です。その後、兵士が戦車の前に立ち、広場を閉鎖しました。デモ隊もそれ以上は前進しないようにして、今のところは衝突を回避しています。

 軍にはデモを取り締まるよう命令が出ているのでしょうが、積極的に取り締まれという命令は出ていないようです。そうした命令が出ていれば、戦車はあっという間にデモ隊に突撃して、群衆を攻撃します。エジプト政府は対策を練りつつも、デモの拡大を防ごうとしているのです。デモ隊もそれを理解しているようです。

 チュニジアの政変をきっかけに起きたデモとしては、予想以上に混乱を生み、また組織立っている様子も見えます。混乱と自制が混在する例のない形になっている点が興味深く感じます。これが中東の民主化のきっかけとなるかが興味深いところです。

 このまま行くと、ムバラク大統領は退陣するしかないように思えます。国際社会はエルバラダイ氏を歓迎するでしょうし、極端な弾圧はさらなるエジプト国民の反発と国際社会からの批判しか招きません。しかし、流血を避けることで、ムバラク大統領は最後の名誉を守れるのです。

 包丁を持っていた男を取り押さえた話ですが、男が連れ込まれたのは戦車ではなく装甲車のことではないかとも思えます。戦車には余計な人を入れておくような場所はありません。戦車が本当ならば、これは群衆や、テレビカメラ向けの「やらせ」ではないかとも思えます。エジプト軍は騒ぎを起こすとこうなるというメッセージを大衆に送ろうとしたのではないでしょうか?。その映像があれば見たいところです。

 警察が姿を消したのは、恐らく、デモ隊の報復を恐れてのことでしょう。普段は権威を利用して国民を威圧できても、一斉蜂起されると手が出せなくなるのです。報じられていませんが、一部の警察官がデモ隊によってリンチを受けたのではないかと推測します。武装警官隊を出したものの、携帯電話の普及で警官隊以上のデモ隊があっという間に集結するという状況ができたのではないでしょうか。一時的に携帯電話の通話が止められたのは、こうした動きを防ごうとするエジプト政府の思惑があったものと推測できます。

 アルジャジーラの記者の公認を取り消すのは、紛争地域で彼らをエジプト政府が保護する責任を解消する狙いがあります。それにより、記者がデモが起きている地域へ行かないようにしているのです。ジュネーブ条約では、記者が活動する地域の政府が公認し、身分証明書を発給した外国人記者に対する保護義務を定めています。公認取り消しはデモを取材に行けばどうなっても知らないというエジプト政府のメッセージなのです。



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