ソマリアの海賊はより攻撃的になるか?

2011.1.26


 military.comによれば、金曜日の韓国とマレーシアによる急襲は、海軍と海賊の両方がより攻撃的な戦術をとる兆候になり得ます。専門家は急襲がより一般的になれば、海賊が人質を人間の盾として利用する可能性があると言います。

 国連薬物犯罪事務所(the U.N. Office on Drugs and Crime)の対海賊プログラムの責任者、アラン・コール(Alan Cole)は、韓国とマレーシアの海軍は海賊に採用されている他の戦略が機能しないという欲求不満から奇襲攻撃を使ったかも知れないといいました。「海軍がこの問題に取り組み、対処するためのパトロールの数を増やし、軍事活動を強化する可能性は十分にあり得ます」と彼は言いました。

 金曜日より前には、いくつかの急襲が別の国々によって、ソマリアの海賊が乗り込んだ船を守るために、攻撃の数時間以内か、乗員が避難所に閉じこもったと確信された後で行われました。マレーシアの急襲はその手法に従って、海賊の攻撃の直後に、乗員が避難所に入った後に起こりました。しかし、韓国の急襲はサンホ・ジュエリーが捕獲された1週間後に、乗員が避難所に入ったかどうかが不明で、船長が明らかに外にいる状態で行われました。「伝統的手法は急襲を躊躇し、海賊に船をソマリアへ運ばせることになっていました。私は純粋に海賊がより無謀になっているので、彼らがより強硬な路線を決断したと考えます」とイギリスのリスク管理会社エオス(Eos)のデビッド・ジョンソン(David Johnson)は言いました。海軍が急襲に依存すれば、海賊たちは恐らく人質を人間の盾とするよう戦術を変えるかも知れないと、ジョンソンは言いました。しかし、彼は海賊は恐らく拘束した人に残忍にはならないだろうと付け加えました。

 アフリカの角に4隻のパトロール戦を持つヨーロッパ連合の海軍は、そうした活動は人質の命を危険にさらすので、乗っ取られた船に急襲を行いません。同海軍の広報官パディ・オケネディ中佐(Cmdr. Paddy O'Kennedy)は、彼らが船を接近させ過ぎると、常にソマリアの海賊は人質を殺すと脅すと言いました。2009年4月末、ソマリア沖合で他4人の人質と共に帆船にいて人質になったフランス人船長フローラン・レマコン(Florent Lemacon)の死は、海軍が乗っ取られた船に行う急襲の危険さを示します。フランス軍特殊部隊による襲撃はレコマン船長の死をもたらした海賊との銃撃戦を引き起こしました。調査はレコマン船長がフランス軍の銃弾で死亡したことを見出しました。


 海賊は今後、韓国人を捕まえた場合は殺害すると言ったそうですが、過去の急襲を行った軍隊の国の国民を、報復のために海賊が殺害した事例はなく、単なる脅しと考えるべきでしょう。彼らは金目当ての犯罪者であり、政治目的を持つテロリストではありません。そんなことをするよりは、他の船を捕まえに行った方が儲かるのです。

 韓国軍の急襲がなぜ実施されたかは、完全には明らかになっていません。米軍は韓国軍の選択に対して、協力はするが推奨しないと言ったそうです。やはり、人質の安全が確保されない状況だと考えられたのでしょう。マレーシア海軍のように、乗員が避難所に入ったことが確実な場合でないと、特殊部隊は思ったように海賊を掃討できません。そこで、韓国軍がどういう状況判断をして突入を決断したのかを、さらに詳しく知りたいと考えています。

 韓国メディアによる作戦の記事は内容に多少の混乱があり、状況を把握するには、もう少し時間が必要と思われます。乗員は船長室付近で発見され、船長と一部の乗員は操舵室にいたと言います。ここから、突入の直前まで船長が船内の情報を韓国軍に通報していた可能性が言えます。実際、ソク船長は海賊の統率がなっていないと通報していたという記事もあります。ソク船長は海軍出身でもあり、こうした情報は韓国海軍にとって信頼できたのかも知れません。

 しかし、乗員は全員が船橋にいたわけで、そこを銃撃するのが危険なのは言うまでもありません。いくら注意して発砲しても跳弾の行く先までは予測できません。海賊は布団を被る乗員の中からソク船長を捜して銃撃したと言います。おそらく、韓国軍が突入すると無線と拡声器で通告した直後、ソク船長は他の船員と共に布団を被って伏せ、銃弾を避けようとしたのでしょう。海賊たちも突入の援護射撃の前に、床に伏せたはずです。援護射撃は高速ボートの隊員が乗り込むまで続き、船橋にあがる前に中止されたでしょう。隊員は窓を破って閃光手榴弾を放り込み、操舵室に突入して海賊を殺害したと考えられます。このように状況を描いてみると、やはり危険な作戦であったのは間違いありません。

 「付近の海域で別の海賊9-10人が乗っ取ったパナマ船が24時間以内にジュエリー号と合流する状況だったため、21日未明が事実上最後の機会だった」と軍当局者が述べたという朝鮮日報の報道もあります。これは海軍の都合が優先され、人質の安全は二の次だったようにも受け取れます。やはり、リスクを含んだ作戦だったということでしょう。



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