米軍に見る従軍聖職者の偏り

2011.1.13
追加 2011.1.14 15:00


 私がいつも気になっている、従軍牧師(従軍聖職者)と兵士の信仰のズレの問題をmilitary.comが報じました。

 軍隊では、従軍聖職者は、観念的にはすべての宗教の隊員を手助けできる者、信仰上の指導者と聴き役の両方として勤務します。従軍聖職者の間てよく聞くのは「全員のための聖職者、一部のための牧師」ということです。

 しかし、米国防総省のデーターによれば、聖職者部隊は 福音主義のキリスト教信仰に極端に偏り、それが勤務する軍を反映していません。

 自らを南部バプテスト派(Southern Baptist)、ペンテコステ派(Pentecostal)、福音派全国協会(the National Association of Evangelicals)の一派のメンバーと呼ぶ軍の下士卒と将校はちょうど3%なのに、軍の聖職者の33%はこれらのグループの一員です。

 空軍のデーターは、従軍聖職者を目指す人の87%が福音主義派の神学校に入学することを示します。 

 この矛盾は、ベトナム戦争後の軍の文化に参加した主流派のプロテスタント派とカトリック派の神学校の指導者の不仲、従軍聖職者の配属と教育における変化、福音派神学校における従軍聖職者志願者のためのオンライン教程の人気を含む沢山の変数の結果です。

 軍当局者は従軍聖職者は、彼ら自身が信仰する宗教に関係なく、すべての信仰を持つ兵士を支援するように訓練されると指摘されます。「こうした様々な役割の中で、従軍聖職者は、信仰を持たない権利を含め、他の者が彼らの宗教を信じる権利を尊重します」と国防総省報道官アイリーン・ライネス(Eileen Lainez)は言いました。

 しかし、リベラル派の神学者と教育者は不釣り合いな均衡は、戦闘や軍隊生活のストレスに直面する兵士の精神的な必要を満たす努力を危うくしかねないと言います。

 それに応じて、ウェブスターグローブ(Webster Groves)のエデン神学校(Eden Theological Seminary)は従軍聖職者を訓練する独自のプログラムを開始しています。この学校はよりリベラルな主流のキリスト教の宗派であるキリスト合同教会(the United Church of Christ)の神学校です。そして、従軍聖職者を訓練するという決定は、軍隊への関与の留保と戦争に対する意義に関わらずなされます。

 エデン神学校の理事長で、退役軍人のデビッド・グリーンハウ(David Greenhaw)は「空漠があります」と言いました。「そして、ここにはその空白を埋めることが重要だという包括的な意見があります」。

 エデン神学校は軍隊と広範囲に活動しているウェブスター大学のカウンセリング部と一緒に従軍聖職者訓練プログラムに協力することを望んでいます。グリーンハウは生徒がエデン神学校で神学上の講義を行い、ウェブスターで講義の相談を行うのを望んでいると言いました。

 エデン神学校の決定の根源は、同校のクリステティン・レスリー教授(Kristen Leslie)と教え子の大学院生が2004年にコロラドスプリングの空軍士官学校でキャンパスでの性的な暴力に対処するために従軍聖職者を訓練したことに遡れます。

 その後エール神学校の教授となったレスリーは、後に彼女と生徒が、礼拝に参加しない候補生たちの救済のために祈るよう促された候補生たちがおり、そうした再生しない者たちは地獄の業火で焼かれるでしょうと言われたするという報告書を提出しました。

 マイキー・ウェインスタイン(Mikey Weinstein)は空軍士官学校の卒業生で、福音派のキリスト教に強い影響を受ける軍隊が憲法修正第1条の国教条項を踏みつけにする恐れがあると主張する「軍の信仰の自由財団(the Military Religious Freedom Foundation)」の理事長です。「これらは軍隊を布教活動のために実り豊かな布教対象地とみなす政府が後援するイエス・キリストの宣教師です」「私は反撃を試みる(エデン神学校を)称賛します」と彼は言いました。

 軍当局者は、彼らは多様性と異教徒間の理解に敏感だと言います。「特に、我々は多元的な理解と態度を模索しています」と従軍聖職者でフォート・ジャクソン基地(Fort Jackson)の空軍従軍聖職者部隊大学(the Air Force Chaplain Corps College)の指揮官スティーブン・キース大佐(Col. Steven Keith)は言いました。「我々は人々が自身の神学理論を保ち、異なる神学理論を持つ人々と働けることを望みます」。

バランスの模索

 戦地派遣の準備をする空軍隊員の支援を含んだ任務を行うスコット空軍基地(Scott Air Force Base)の従軍聖職者たちは、すべての信仰に敏感であることが重要だと言います。

 従軍聖職者でアフリカ・メソジスト聖公会教会(African Methodist Episcopal Church)の牧師のケネス・ジョンソン少佐(Maj. Kenneth Johnson)は、自身の信仰を宣伝する機会があっても、一般的にそうするのを避けると言いました。

 「私は彼らと、私がいるところではなく、彼らがいるところで会います」「聖霊が機会を作るのを導けば、それは起こるでしょう。でも、聖職者としての精神に忠実のままでいなければなりません」

 スコット基地の従軍聖職者のダグラス・スレーター大佐(Col. Douglas Slater)は、従軍聖職者は職務では多元的であるように努めるべきだが、それでもなお、我々の支持する仲介者の基礎から離れることはできないと言いました。

 空軍士官学校訪問でのレスリーの報告は、従軍聖職者と指揮官からの相当に激しい布教活動を指摘します。この問題に関する2005年の米下院での軍事委員会での証言は、空軍士官学校に、すべての信仰を持ち、あるいは特定の信仰を持たない者の権利を尊重するように改正されたガイドラインを出させました。

 それでも、「Colorado Springs Independent紙」が公表した、8月に漏洩した士官候補生の最近の調査報告は、候補生の3%が時々あるいは頻繁に、望まない布教活動を受けていることを暴露しました。別の5%は1〜2回の布教を受けたと言いました。

 批評家は、問題の多くが従軍聖職者の信仰が軍隊一般を反映していない事実から招じると言います。

 たとえば、一般大衆と同じく、軍人の中で最も一般的なキリスト教徒の宗派はカトリック派です。現役の20%は自身をカトリック派だと考えています。一方、南部バプテスト派は1%だけです。

 比べて、国防総省によると、現役の従軍聖職者の16%は南部バプテスト派で、カトリック派は8%だけです。

 一方、非キリスト教の軍人と非キリスト教の従軍聖職者の間の不均衡は僅かです。いずれにしても、自分をユダヤ教、イスラム教、仏教、ヒンズー教とする者は1%未満です。

 それでも、国防総省によれば、そうした従軍聖職者は全軍で33%だけで、自身の信仰を固守する隊員が彼らの宗派の従軍聖職者に出会いがたくしています。

聖職者の訓練と採用

 批評家は、従軍聖職者が隊員の信仰を共有しないことが多い理由は神学校から始まると言います。

 そこは意欲的な従軍聖職者が最初に、軍務に必要な神学の修士号を得るために入学するところです。

 しかし、空軍のデータが例示するように、大多数の未来の従軍聖職者はキリスト教福音派の神学校を中心に選んでいます。

 それは恐らく、自分の宗派の中で学校を選びたがる従軍聖職者志願者の宗教的な選択を反映しています。

 軍当局者は、彼らはそれを変えることはできないと言います。

 「我々は従軍聖職者部隊を民間の分野で起きていることに反映させるので、主流派の減少は必然的に主流派のプロテスタント派の従軍聖職者の減少を意味します」とキース大佐は言いました。

 しかし一部の者は、福音派神学校の聖職者学生の多くも学校によって市場調査と採用で便宜を受けていると言います。

 たとえば、南部バプテスト会議(the Southern Baptist Convention)と密接なつながりがある、バージニア州の福音派神学校のリバティ大学(Liberty University)は、オンライン学位を提供していることもあり、数多くの聖職者生徒の大半を陸軍に採用させることができました。

 しかし軍当局者は、聖職者生徒がリバティ大学のような学校にほとんど入学するだけで、最終的に従軍聖職者になるのではないと言います。

 特に空軍の聖職者職は、有名な競争が激しい職務です。

 キース大佐は、空軍は現役、予備役、州軍の従軍聖職者の職に毎年200〜300件の出願を受け取ると言いました。空軍は現役の従軍聖職者の職に毎年約30件の出願を認めています。

 空軍の従軍聖職者志願者は、神学の修士号を得て、聖職を叙任し、3〜5年間教会で働いたあと、一人前の従軍聖職者になるために、自身の宗派の推薦人を通じて再志願しなければなりません。

 キース大佐は、かつて空軍は、1人のメソジスト派の従軍聖職者が退役したら、別の者が彼の座を狙えるように、宗派のバランスを取るための定式を使ったものだったと言いました。

 「システムは現在、宗派のバランスを機能させるという基本的な考え方によって、最も適したものです」とキースは言いました。

 彼はバランスを研究しようとする努力が空軍指揮官の間にあると言いました。

ベトナム戦争の後に

 軍隊が従軍聖職者の信仰の多様性を欠いていると批判する多くの人たちは、説明するためにベトナム戦争をあげます。

 1960年代と1970年代初期において、主流派であるプロテスタント派の多くの指導者たちは、倫理と神学上の根拠によりベトナムでの国の戦争に抗議したように、数世紀続いたキリスト教運動に忠実でした。多くのカトリック派の司祭は似た立場を取りました。

 戦争後数十年には、主流派の牧師を訓練する神学校は、軍隊が彼らのキャンパスで従軍牧師を採用することを禁じました。

 保守的な福音派の教会は、1980年代と1990年代に人気と政治的な力を成長させ、それらの神学校は軍の従軍聖職者部隊の空白を埋めました。

 「ベトナム戦争後、主流の宗派は軍の徴募官を自分のキャンパスに招こうとしませんでした」と、現在エデン神学校でパストラルケア(宗教指導者による心理療法)の教授を務めるレスリーは言いました。「いくつかの点で、我々は我々だけでこれを行いました」。

 現在ですら、エデン神学校が従軍聖職者プログラムを加えたことで、指導者たちは学校が、戦争に対する神学上の嫌悪と彼らが従軍牧師部隊に見る神学的アンバランスを正したいという願望のどちらかを選ぶ難しい立場に置かれると言います。

 「そうした提携が戦争の承認、激励、支援と見られかねないという恐れのために、軍隊との提携を望まないという感覚があります」とグリーンハウは言いました。

 彼はエデン神学校が要請することを望んだ従軍聖職者は、積極的に各宗派を理解し、積極的に宗派を超えた、独特のキリスト教徒であることを望んでいると言いました。

 そして、軍隊と共に働くことについての神学上の一定の保留に関わらず、エデン神学校の教授陣は活動中です。


 日本の軍事マニアは宗教になど関心はなく、むしろそうしたことから離れていたくて、この分野に関心を寄せるものです。実際には、軍隊はかなり宗教的な組織です。ナチスドイツの秘密警察は冠婚葬祭を組織が仕切り、隊員の人生そのものを組織が取り込んでいました。軍人は生死がかかる仕事でもあり、そこから宗教的な考え方を深める人が増えても何らおかしくはありません。

 若い隊員が戦闘で死に直面した時、宗教的な救いを願うことは自然であり、それによって精神の均衡を保つこともあります。もちろん、不幸にも信心が抗力を発揮しないとか、逆効果を生むこともあります。それでも、世界全般では軍隊における宗教は尊重され、それ故に国際人道法(ジュネーブ条約)でも、捕虜の信仰を保証しているのです。

 しかし、日本のアニメなどは軍隊をそのような組織としては描かず、子供たちは何も知らずに軍隊を誤解して育ちます。一方、劇映画には、数は少ないのですが、従軍聖職者が登場することがあり、兵士が祈るシーンもみられます。アルカイダが宗教的な武装組織であることからも、軍事を考える上で、宗教に対する理解は不可欠なのです。残念なことに、日本の軍事メディアはこうした問題をまず取り上げません。この記事は、日本人が軍隊と宗教について考える上で貴重です。

 冒頭で、「従軍牧師(従軍聖職者)」と書きました。一般的には従軍牧師と呼ばれている軍職は、実際にはプロテスタント派の司祭だけではなく、あらゆる宗教の司祭を含みます。英語では常に「military chaplain」と書かれます。「chaplain」は「牧師」という意味です。カトリック派の従軍聖職者でも「military priest」、ユダヤ教でも「military rabbi」とは書かず、常に「military chaplain」です。単に「chaplain」と書かれる場合もありますが、その意味は時と場合により分けて認識する必要があります。

 私は従軍牧師は全員がプロテスタント派だという誤解を招きやすいので、一般的には「従軍聖職者」と書くようにして、場合により「従軍牧師」と書くことも認めています。この記事も、こうした注意なしには訳せません。たとえば「全員のための聖職者、一部のための牧師(chaplain to all, pastor to some.)」の部分です。

 こうした言葉を米軍が用いていること自体、軍隊の宗教は特定の宗教に偏りがちであることを示しています。もっと宗教の多様性に気をつかって別の名称を制定すべきだと、私は考えています。アメリカ社会自体にもそうした問題があります。プロテスタント派が建国した国としては、社会が基幹とする宗教は当然、プロテスタント派になってしまいます。

 従軍聖職者はあらゆる隊員の面倒を見るのが建前とはいえ、先日も紹介したように、同性愛のカップルのカウンセリングを受け持つことを躊躇する従軍聖職者もいます。これで他宗派、無宗教の隊員の相談を引き受けられるのかという疑問が湧きます。

 結局のところ、宗教も同じ人間が群れたがるという習性の産物かも知れません。ロックが好きな人は他人にもロックを聴くように勧めるでしょう。しかし、演歌しか聴かない人にロックは騒音としか思えないでしょう。対象を受け入れない限り、我々はそれを愛せないのです。このごく単純な問題は解決し得ない問題だということを、この記事は教えています。従軍聖職者は他宗派、無宗教の人の相談に乗ろうとして限界にぶつかるかも知れません。同性愛のカップルのカウンセリングで異性同士のカップルで発揮できる指導力を出せない従軍聖職者がいるかも知れません。

 もちろん、宗教側も努力はしています。訳文中で「積極的に各宗派を理解し」と訳した部分は「actively ecumenical」で「ecumenical」は「教会一致運動」とか「エキュメニカル運動」と呼ばれている、宗派を超えたキリスト教宗派の集合を目指す運動のことです。日本ではあまり知られていない運動なので意訳しましたが、宗派間の対立を解消しようという運動は存在するのです。

 それでも、この記事が描いた問題が存在することは、我々の宗教観がかなり未熟であることを示しています。もっとも、この問題が解決されれば、世界は戦争をする理由もほとんど失うでしょう。従軍聖職者の問題は、戦争という問題の縮図みたいなものと言えます。それは我々にとって解けない難問なのです。



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