オバマ大統領のイラク戦闘完了演説評

2010.9.5

 遅くなりましたが、military.comのバラク・オバマ大統領のテレビ演説について書きます。

 演説の全文も掲載されています(演説全文はこちら)。こうした公式な演説には、特有の建前と、これからの展望が盛り込まれます。演説の全文を紹介したいところですが、作業をする時間がありませんので、興味深いところをピックアップしてみます。

 その前に、重要な前提事項を思い出しておく必要があります。オバマ大統領は、本来イラクでの戦闘活動について公式にコメントする立場にないどころか、最も不向きな人物です。最適任者は言うまでもなく、前任者のジョージ・ブッシュ大統領です。オバマ大統領はイラク侵攻に最初から反対していました。その人が、イラク侵攻を総括する立場になったのです。しかし、オバマ大統領が自分がイラク侵攻に反対だったことを前面に押し出し、演説で「イラク侵攻は間違っていた。従って、我々の努力は無駄だった」と言うならば、国内で激しい批判に曝されるでしょう。オバマ大統領は、言いたくないことを言わなければならない立場にあることを、理解する必要があります。必然的に、この演説には理論的な隙が生じます。それは最初から分かっていることなので、そこを批判しても意味はありません。

 全体を通して特徴的なのは、2点の事柄が大きなポイントとして示されていることです。

  1. イラク撤退によって、高額の出費を抑え、アメリカの経済的な問題を解決すること。
  2. イラクでの米軍の軍事作戦が完全に終了したわけではないこと。

 特に、後者はしつこいほどに繰り返して述べられており、米国民に戦闘が完全に終了したと勘違いされないように配慮していることが感じられます。

 先に述べたように、ブッシュ大統領が始めた戦争を自分が止めさせるために、オバマ大統領は米国民一般に反感を買わない形で、次のように述べています。

この机から、7年半前、ブッシュ大統領はイラクでの軍事作戦の開始を発表しました。その夜から多くのことが変わりました。

 これはオバマ大統領の本音ではないと、私は考えます。イラク侵攻の状況が変わる前から、オバマ大統領はそれに反対していました。しかし、多くの国民は、バグダッドまでの侵攻作戦の後で、状況が悪化したと認識しています。ここでは、そういう認識を利用して、国民を納得させようとしているのです。

 そこからオバマ大統領は派遣に応じた軍人たちの努力を称賛し、目的を達成したと説きます。この部分はしばらく続きますが、興味深いのは次の文です。

イラクで軍務についたアメリカ人は、彼らに与えられたすべての任務を完了しました。

 戦略目標を達成したのではなく、軍人が与えられた命令を達成したと言っている点に注意が必要です。軍人が与えられた戦術目標を達成しても、戦略目標が達成されないこともあるのです。野球で選手がコーチが与えた目標をすべて達成しても、試合に確実に勝てるわけではないのと同じです。また、戦略目標を達成したことに言及すれば、それはブッシュ政権の戦略が正しいものであったという、矛盾を露呈してしまいます。

 ブッシュ政権との立場の違いを示すために、オバマ大統領は軟らかい表現を用いています。

今日の午後、私はジョージ・W・ブッシュ前大統領と話しました。彼と私がこの戦争に関して最初から意見が一致しなかったのは有名です。それでも、ブッシュ大統領が我が軍を支援したことや、彼の愛国心、我々の安全への貢献を疑う者はいないでしょう。

 オバマ大統領はブッシュ大統領を最大限に持ち上げています。しかし、これはあまりにも元大統領を批判すると、自分に反動が返ってくることを警戒してのものです。アメリカにとって大統領は、日本の天皇に近い存在で、民主主義に基づいた批判はともかく、存在自体まではけなすことができません。

 この少し後で、オバマ大統領は次のように言っています。

事実、過去19ヶ月にわたって、1ダース近いアルカイダの指揮官、アルカイダの過激主義者の仲間を、世界中で殺したり、逮捕したりしました。

 「19ヶ月」という数字に注目してください。アルカイダへの攻撃は2001年の同時多発テロ以降から始まっていました。なぜ、オバマ大統領が19ヶ月間についてだけ指摘したのかというと、彼が大統領に就任してから今までが19ヶ月間だからです。圧倒的に期間が長いブッシュ政権の努力については触れていません。また、もし「9年間」と書いたら、そんなに長い間戦って、アメリカが未だにアルカイダに勝てていないという矛盾も露呈することになります。

 話はアフガニスタンの治安移譲へと移り、それからアメリカの経済復興へと進みます。その結果、誰が利益を受けるかという点について、オバマ大統領は次のように言います。

そして、その繁栄の基盤は、成長する中産階級でなければなりません。

 明らかに有権者の大多数へ向けたメッセージです。演説には彼らを納得させるための、あらゆる表現が用いられています。演説は全体的に、彼らの信頼を得るための利益誘導に終始しています。アメリカの政治家として、これは当然のことです。

 しかし、軍事的に客観的に見るならば、この演説には軍事的な優位を示す表現はありません。負けている戦いを、あまりひどくないように見せる演説です。

 記事には、このサイトで何度も紹介しているイラクとアフガンの退役軍人の組織「IAVA」のポール・リックホフ代表が、オバマ演説に厳しい指摘をしたことが書いてあります。「戦争が終わったとして、ブラックホークが来週、墜落したらどうしますか?。とんでもないですよね?」。明らかに、1993年にソマリアで起き、大損害を出したブラックホーク・ヘリコプター撃墜と特殊部隊の市街戦を指した批判です。

 今後、アルカイダとどう戦っていくかも、演説では何も示されていません。実は、一番大事な問題はそこなのですが、まるで触れられていません。イラクから米軍が撤退し、まもなくアフガンからも撤退します。蓄えられる力をどう使って、テロと戦うのか?。この演説は、巧みにそれについて述べるのを避けているのです。これは不安材料となります。

 それでも、これ以上の演説は、今のアメリカで誰もできないだろう、と私は考えます。もし、先の大統領選挙で、ジョン・マケイン上院議員が当選していたら、この段階でイラク撤退が始まっていたかどうかも疑問です。つまり、この演説は最悪の中で最善なのです。



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