小論:終戦65周年を迎えて

2010.8.17

 65回目の終戦記念日が過ぎました。何か文章を書こうと思いましたが、65年間という時の長さと、人類の進歩の遅さに改めてショックを受け、何を書いたらよいかを迷いました。しかし、最初に頭に浮かんだことを書けばよいことに気がつき、小論を書いてみました。

 最近の科学の発展は、人類が違い争うことを止め、人類全体が抱える危機に立ち向かうべきであることを明らかにしたと、私は考えるようになりました。

 「人類全体の危機」とは、地球温暖化もそうですが、最近の宇宙科学の発達が隕石の地球衝突の可能性が否定しきれないことを明らかにしたのも、その理由です。国家は領域の面積に応じて、最小限の防衛力を持つことは許されますが、できる限り協力し合い、こうした危機を回避する努力をすべきです。それが最善の安全保障です。

 隕石の地球衝突など可能性はゼロに低いと考えている人たちは考え方を改める必要があります。かつて、天文学者たちも、そのように考えていました。認識を変えさせたのは、1993年にシューメーカー・レビー第9彗星が木星に衝突した歴史的事件でした。彗星が木星に衝突しても、彗星に比べて木星は巨大なのだから何も起こらないだろう、と考えていた天文学者たちの予想は裏切られ、木星には巨大な衝突痕が観測されたのでした。結果、同じことが地球に対して起きる可能性は誰も否定できないという認識が広がりました。太陽系の成り立ちが明らかになるにつれて、隕石についても明らかになり、衝突の可能性があることは、誰も否定しなくなりました。しかし、地球に衝突する隕石を発見し、回避する方法は確立されていません。これを実現するには、小惑星探査機「はやぶさ」のような装置を宇宙に送り、少なくとも太陽系に関する知識をもっと増やす必要があります。また、様々な惑星に関する情報が集まるにつれて、惑星の環境はちょっとした宇宙の環境変化によって大きく変わることも明らかになっています。言うまでもなく、こうした調査には莫大な費用がかかります。「はやぶさ」には約210億円がかかっているといいます。比較して、日本がF-15を取得する時の費用は約120億円です。単純に言えば、2機のF-15を買わなければ、「はやぶさ」を1機運用できるのです。

 一方で、現実主義者たちは、夢みたいな宇宙研究よりも防衛が大事と考えます。隕石の地球衝突と日本の防衛とどちらが現実的な問題は簡単には答えられません。しかし、隕石の地球衝突で絶滅した恐竜たちのことを考えてみるのは意味があります。彼ら恐竜は、隕石の危険性など考える術がありませんでした。彼らには見上げる空がすべてであり、その先に空間が広がっていることなど考えようもありませんでした。しかし、我々は隕石の存在を知っています。それなのに、手もなく隕石により絶滅を迎えるのであれば、我々も恐竜たちと変わらないか、むしろ彼ら以下だということになります。

 かつて「宇宙戦争」を書いたジュール・ヴェルヌは植民地解放主義者で、宇宙からの脅威を描けば、人類は互いに戦うのを止めるだろうと考え、この本を書いたといわれます。しかし、これが脅かしではなく、現実の脅威であることが最近分かってきたのです。ごく限られた環境にしか生きられない魚のように、宇宙レベルで見ると、人類も限られた環境でしか生きられません。地球は過去、何度も環境を大きく変えました。現在の環境が永遠に続くことはあり得ません。人類は地球の中を調査研究して技術を開発し、生存の可能性を高めてきました。今後は宇宙に対しても同じことを行い、生存の可能性を高めていく必要があります。今後は、宇宙研究のような高度で費用のかかる研究分野が、もっと規模を拡大し、より実用的な感覚で語られるようになる必要があるのです。

 ところが、現状は主に中東に端を発する危機が続き、パレスチナ問題、イラン、アルカイダとアメリカを中心とする西欧社会の対立を解消できずにいます。こうした対立は人類全体の足を引っ張っているのです。軍事問題を研究すればするほど、軍事は国家のために敵を滅ぼすだけのものということが理解されてきます。その活動は地球の断片である国家にとどまり、宇宙レベルではほとんど意味をなさないことに、我々は気がつくべきなのです。


 

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