陸軍中佐がPTSDの体験を語る

2010.5.3


 military.comにPTSDと戦う軍人の体験談が掲載されました。

 2003年7月23日、ライアン・クランク(Ryan Kranc)は、第3装甲騎兵連隊と共にイラクのラマディ付近を移動していました。車列はIEDの攻撃を受け、彼の友だちで友人のジョシュ・T・ボイヤーズ大尉(Capt. Josh T. Byers)が死亡しました。現在、少佐のクランクは、その後6年間と2度の完全な戦闘派遣の後で、自分がこの事件によって精神的な傷を受けたことを明らかにしました。彼は治療を受けたことがありましたが、さらに深く治療する決心をしました。彼はドイツのラントシュトゥールにある戦域医療センターで6週間、PTSDの治療を受けました。クランク少佐は、この衝撃的事件は彼の人生を永遠に変えましたが、治療によって前へ進むことができました。クランク少佐は陸軍諸兵科連合センターに配置され、8月に始まるアメリカ陸軍指揮幕僚大学の中間レベル教育クラスでの訓練が始まるのを待ちました。彼はPSDTで苦しむ他の隊員が、1人ではなく、助けを求めることが悪いことではないと認識することを希望して、自分の経験を分かち合うことを望んでいます。「私が事件から6年後に申し出て、助けがいると言った時、私には自分の指揮系統からの支援だけがあり、私はそれは一般的に現在、陸軍内で見られる支配的な態度だと思います」。クランク少佐はPTSDと戦うことを選びましたが、それは友人のために嘆くのを止めたわけではないと言います。「私はそれを乗り越える必要があるとは言いません。なぜなら、私は衝撃的な出来事の中には、忘れたくない確かな物があると思うからです。友人が死んで悲しく思うことは忘れたくありません。彼らを尊敬し、悲しむことは悪くありません。しかし、私は友人があなたが先へ進めないほど力を損なっていることを望まないことを忘れないこともも重要だと思います」。クランク少佐はPTSDと診断され、治療を受けたことは汚点にならず、軍歴に何の影響も与えなかったと言います。彼はPTSDに立ち向かうための持論を持っています。

  • 人間的でよい。
  • なにもかもはコントロールできない。
  • 嘆いてよい。。悲しんでよい。前へ進んでよい。進み続けてよい。彼らの記憶を讃えるために、優れたチームのために最善を尽くせ。

 「あなたは打ちのめされていないし、ダメージも受けていません」「あなたは精神的に不安定ではありません。あなたは人間です。あなたは以上が出来事や異例の行為に対して自然な反応をしているのです」。

PTSDと家族生活

 クランク少佐はPTSDを体験したことを認めるのは難しかったと言います。「発見するために最も早い方法はあなたの近くにいる人に尋ねてみることでしょうね」と彼は言います。「それに配偶者はこれが上手です。配偶者はあなたのベースラインをよく知っているし、一年経って帰還したときには、認識できる違いがあるでしょう」。クランク少佐がイラクから最初の派遣から戻った時、彼の妻、モリーは夫が変化したことに気がつき始めました。彼は怒りっぽく、眠れなくなり、いつもよりも多く酒を飲んでいることに気がつきました。最初、彼女は酒自体が問題かも知れないと考えました。「彼は本当に短気で、彼の回りではほとんど薄氷を踏む思いでした」と彼女は言います。モリーは彼女の夫の問題行動は波のように来ては去ったと言います。いつも悪いのではなく、問題が始まると、彼女と彼女の夫は一緒に行動を起こし、カウンセリングを受けました。「私は家族付きの従軍牧師に助けられました」と彼女は言います。「それがその時点でどんなに小さいことだったかは関係なく、私はうまく行くことに焦点を置かなければなりませんでした」最初の派遣から約一年後、クランク少佐は再び派遣されました。モリーはこれを顧みて、再派遣は夫の問題の主要部分だったと言います。彼は家族を多くの時間を過ごすことができず、普通の生活に再調整するための時間がありませんでした。モリーは、PTSDに対処するのに最も難しかったのは、彼女の夫が彼女を避ける時だったと言います。「私は配偶者は多分、PTSDに気づくのがとても上手だと思います」と彼女は言います。「私はそれらを個人的なことだと受け止めないように…(軍人たちが)気に留めずに、快方に向かい、そうしようとするかを望むだけでした。彼女は耐えることを学ばなければなりませんでした。彼女は彼を快方に向かわせようとせず、彼が助けを得るように説得し続けなければなりませんでした。「我々は、我々が身体的に慢性的な病気で病んでいても愛する者を見捨てないと考えるようにしました。家族が自分たちの兵士に愛想を尽かすのを見るのは、私の心を引き裂きます」。マシュー・ギブソン(少佐 家族付き従軍牧師)がカウンセリング用の訓練を受けたとき、彼は彼自身のPTSDの問題を解決した治療を経験しなければなりませんでした。イラク派遣で、ギブソンは死んだ大勢の兵士の名前と、他の兵士たちが彼らの死にどう反応したかを憶えています。「派遣を経験した従軍牧師、我々すべてはその部屋の中で赤ん坊のように泣きました」と彼は言います。軍人はPTSDと立ち向かうような極度の衝撃的な出来事を持つだけではなく、ギブソンは問題は軍人が派遣される間、問題に立ち向かう時間が取れないために問題が悪化することだと言います。彼はPTSD問題は後で家族や離婚問題を通じて現れることがあると言います。駐屯地の教会で進行中のプログラムの一つは「戦闘経験に対する宗教的奉仕活動による解決」のクラスです。これには、ミリタリー・ミニストリー・プレスが出版した精神的な本「戦闘のトラウマを癒すマニュアル(The Combat Trauma Healing Manual)」「戦争が家にやってきたら(When War Comes Home)」を用いて、夫婦、配偶者、軍人に別々のクラスがあります。戦闘派遣を経験した夫婦には夫婦のグループを手助けします。ギブソンは、このサービスは最近の戦闘経験者に限られていないと言います。彼は駐屯地の民間人やベトナム戦争時代ほど古くに派遣されてPTSDを持つ退役兵の相談も受けています。

 今回は、ほとんど省略せずに訳しました。長い記事なので、「Diagnosis and Treatment」「Confidentiality and Honor」は省略しました。興味のある方は読んでください。

  体験に基づいたレポートであり、内容も明確なので、コメントする必要もなさそうです。PTSDに関する問題を考える際に、大いに参考になる情報といえます。このように、PTSDと正面から向き合う気持ちになるまで、6年間もかかった点は記憶しておくべきです。武勇で有名なジョージ・S・パットン大将ですら、日頃から奇妙な行動をしており、これをPTSDの兆候と見る歴史家もいます。


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