戦場の実態と交戦規定の問題

2010.5.20


 military.comがアフガニスタンでの戦闘の模様と交戦規定に関する記事を報じました。

 米兵とアフガン軍の部隊は、ヤヤ・クル村(Yahya Khel)の近くで、約20人の武装勢力から攻撃を受けました。第187歩兵連隊第3大隊エンジェル中隊の指揮官助手・パワーズ大尉(Capt. Josh Powers)は「彼らはよりよい位置へ移動するために接触を断とうとしているようです」といいました。第2小隊が交戦中でした。彼はラシュモア前進作戦基地(Forward Operating Rushmore)の指揮所に広げられている地図を見つめ、約40マイル離れている部隊を支援する最良の方法を思い描きました。中隊を担当する空軍戦術管制官は兵士を支援するためにF-16を呼びましたが、結局、空軍戦術管制班にできることは多くありませんでした。パクティカ州の他の前哨は最近攻撃を受けていませんでしたが、ヤヤ・クル前哨基地が激しい攻撃を受けたのは1週間以内で2回目でした。武装勢力はヤヤ・クルの米軍を人数に関係なく欲したのです。また、米軍がこの地域最大の市場を守っているという事実も理由でした。しかし、米軍の最大の力は、司令部から砲撃、攻撃ヘリコプター、無人偵察攻撃機と迫撃砲を無線で呼ぶだけです。民間人への被害を最小限にする新しい交戦規定はパワーズ大尉のような指揮官と彼の上官が部隊を支援するのを難しくしています。アフガンのような場所での戦いは、比較的小規模な兵士が数少ない舗装道路でつながる広大な地域に分散し、支援が来るのには時間がかかります。即応部隊の約20人の兵士が銃火を受けた地元民に手を貸すために派遣され、敵は村周辺の建物から後退したように見えました。パワーズ大尉は無線機と電話の橋渡しをして、大隊指揮官デビッド・ファイブコート中佐(Lt. Col. David Fivecoat)に120mm迫撃砲を敵の居場所に撃つ許可を求めました。7:15頃、銃撃戦が始まって約20分後、パワーズ大尉は120mm迫撃砲を発射する許可を得ました。「彼が二度と手を出せないように、迫撃砲を真後ろに撃ち込んで、きっちりと殺してやる」と、パワーズは部下に言いました。上空を飛ぶF-16が、迫撃砲の着弾地点の近くの建物から、武装しているように見える者たちが建物の外を走っているのを報告しました。空軍航空管制官は「爆撃してやりましょう」と言いました。「指揮官は許可しないだろう」とパワーズ。「奴らが次のレベルでことをしない限りは」。戦いの23分後、敵はそれをやりました。「犠牲者が出ました」とヤヤ・クルの無線兵が言いました。「兵士が手首に銃弾を受けました。応急処置済みです」。パワーズがこれを大隊指揮官へ連絡するため電話に手を伸ばした途端、中隊の砲兵下士官のトップ、カードレイ・モールデン2等軍曹(Staff Sgt. Cardray Moulden)が大隊司令部へ通じる電話を取り上げ、120mm迫撃砲の発砲が許可されました。「奴らを着弾地点へおびき寄せて、砲撃しましょう」と兵士が、厳密な規則の下では承認されないと知られていることを言いました。空軍管制官が「武力展示」のために、F-16に20mm機関砲で集落から十分に離れた場所を機銃掃射させ、迫撃砲が弧を描いて撃ち込まれました。交戦開始から1時間近く後、迫撃砲は彼らの仕事をしました。敵は発砲を止め、犠牲者は指揮所へ運ぶためにアフガン軍のジープに積み込まれ、救急ヘリが向かっていました。無線機が最終的に静かになったとき、兵士たちは遠隔のヤヤ・クル前哨と武装勢力の攻撃を惹きつけているその性質について再考する時間を持ちました。過去3ヶ月のエンジェル中隊の派遣で繰り返されたように、敵は激しい攻撃をはじめて、民間人の陰に戻っていきました。「彼らは大衆が安全でないこと、いつでも治安部隊を攻撃できることを示すのが好きです」とパワーズは説明しました。「彼らはアメリカ人に犠牲を負わせる度に、それが国際的な事件になることを知っているのです」。

 大まかな訳ですが、それでもここには何が問題かが示されています。

 普通、中隊は隷下の小隊を40マイル(64km)も向こうに配置したりはしません。しかし、アフガンでは、小部隊を離れた場所に置いて警備をせざるを得ません。警備する場所はあまりにも広く、兵士はごく僅かしか派遣されていないからです。ブッシュ政権がイラクで同様の方法を用い、それが今も続いているのです。アフガンからの撤退も決まった今、オバマ政権は一定数の増派しか命じていません。そこで、砲兵や空軍などの支援が重要になり、的確に警備部隊を支援する必要があるわけです。

 この記事に示されている支援砲撃は、通常の戦争と比較するとタイミングが遅すぎます。パワーズ大尉は戦闘が始まってすぐに迫撃砲の発射許可を要請したのでしょうが、許可が出たのは20分後でした。その間、大隊指揮官はおそらく無人偵察機の情報で、周囲の安全を確認していたのです。ところが、F-16のパイロットが別の人影を見つけました。彼らは武装しているようですが、先日明らかになったように、RPGを持っていないのに武装していると認識され、民間人が攻撃されることがあります。これでさらに時間を食い、最終的に兵士が撃たれたので、発砲が許可されます。それから、F-16が敵に畏怖を与え、その場から立ち去らせるために機銃掃射を行います。これは、これから砲撃が行われることを示すためにも行われています。こんなことをやっている間に1時間近くも経ってしまったというわけです。

 しかし、攻撃の結果を見れば敵を後退させることに成功したわけで、失敗したわけではありません。問題があるとすれば、時間をかけただけ、味方を危険に置いたことです。私には、問題は交戦規定にあるのではなく、少数の部隊で広大な土地を守ろうとしたアメリカの戦略にあると考えます。イラク侵攻は十数万人で実行されましたが、当初、ラムズフェルド国防長官は5万5千人での作戦を構想しました。これに対して、陸軍参謀長エリック・シンセキ大将は、治安作戦には住民50人に兵士1人が必要として、最低56万人という兵数を主張しました。ラムズフェルド国防長官は受け入れず、ブッシュ大統領が「足して二で割る」ような意味のない決断を下し、中途半端な兵数がイラクに派遣されました。さらに言えば、問題は兵数ではなく、必要のないところに大量の部隊を配置した戦略にあります。イラクにアルカイダの本拠地はありませんでした。大量破壊兵器はアルカイダの脅威とは関係がありませんし、そもそも、イラクに大量破壊兵器はありませんでした。こうした誤った戦略も、一度承認されると変更はしがたいのです。結果として、アフガン戦にもイラク戦のやり方が継承され、結果として、現場の兵士が危険にさらされているわけです。

 どの道、アフガンからは撤退します。どうやっても、アメリカの狙いは成功しそうにありません。それでも、兵士たち、特に将校はベストを尽くそうとします。そこに、この戦いの悲劇があります。

 それから、パワーズ大尉のタリバンに対する見解が、私の見解と一致していたのには驚きました。戦いに勝つことを狙う欧米型の戦術ではなく、タリバンは治安が回復していないことをデモンストレーションするために攻撃を行うのです。

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