カルザイ大統領がマルジャの長老と会談

2010.3.9


 military.comによると、アフガニスタンのハミド・カルザイ大統領(President Hamid Karzai)はマルジャを訪問し(マクリスタル大将も同行)、地元長老は政治の腐敗とNATOの作戦に対する不満を大統領にぶつけました。カルザイ大統領は「それこそが私が聞きたかったことだ」と応じました。

 日曜日に集合した長老の多くは、政府側につきたかったが、彼らの体験がここまで彼らを懐疑的にしたと言いました。長老たちは、しばしば叫びながら、元政府職員の間に蔓延する汚職について不満を述べました。彼らはマルジャの学校が国際軍の駐屯地に変えさせられたと嘆きました。攻撃の間、店が略奪に合い、罪のない民間人が国際軍に拘束されたと主張しました。アブドラとだけ名乗った男性は、「過去7年以上にわたり、我々は権威から強要を受ける問題を被ってきた。過去20日間で、国際軍がここに来て、人々が死傷し、我らの市場は破壊され、住宅が破壊された」と述べました。30代前半のモハマッド・ネイーン・カーン(Mohammad Naeem Khan)は「タリバンが私の肩を叩くならば、私は彼らと共にいる。政府が私の肩を叩くならば、私は彼らと共にいる」と述べました。マクリスタル大将はこの会議に同席しましたが、発言はしませんでした。長老たちは、軍隊が行った家宅捜索の非道と攻撃の間に起こった民間人の被害を訴えました。彼らは、家宅捜索を国際軍や地元の警官ではなく、アフガン軍が行うように求めました。また、診療所と学校を要望し、サービスを提供できない政府に対して我慢の限界だと述べました。カルザイ大統領が「あなたは私と共にいますか?。あなたは私を支持しますか?」と長老たちに尋ねると、男たちは全員が「我々はあなたと共にいます。我々はあなたを支持します」と言いました。カルザイ大統領は、彼らに治安を提供し、学校を開いて、道路と診療所の建設を始めると約束しました。マルジャの住民は以前にも約束を聞いたことがあります。国際軍とアフガン軍は少なくとも過去3回、マルジャを占領しました。これらの地方政府は診療所と学校を建設するという約束を守れませんでした。マルジャの住民は先月、AP通信の記者に、2009年に派遣された警察はあまりにも腐敗していたので、タリバンが戻る前に住民が追放した、と述べました。長老たちは、マルジャをパトロールするのは地方警察ではなく、国の別の地域の警察官にして欲しいと言いました。カルザイ大統領は人々が怒っていることには驚かないと記者に言いました。「彼らは強い合法的な、まさしく、合法的な不満を持っているのです。彼らは見捨てられたように感じており、多くの場合それは真実です」。マクリスタル大将は、長老の不満は、彼らが国際部隊に反対であることを意味しないと感じると記者に言いました。昨日紹介した、息子を殺した前科があるとされるアブドゥル・ザヒル(Abdul Zahir)について議論が行われたかどうかは不明です。カルザイ大統領は住民が地方議会を作りたいと述べたといいました。

 この会議の様子を見ると、マルジャ戦の成果がいよいよ今後の成り行きによって決定されるのだと感じます。人々はカルザイ大統領を支持したように見えますが、カーンが述べたように、タリバンが肩を叩けば、彼らについてしまうのが、マルジャの住民なのです。タリバンに反対すれば殺されるのです。しかし、政府は腐敗しており、警察すら頼りにならないのです。問題は、アフガン政府が信頼に足る警察を他の地域から派遣できるかです。これには、アフガン人全体に、国を再興しようという気概が必要です。しかし、アフガン人は地域コミュニティへの忠誠心は高いものの、アフガン全体の話となると、ごく薄い意志しか持たないと言われます。他の地域のために真剣に取り組めるかが非常に心配です。現実的に考えると悲観的な予測しか出てこないのが残念ですが、変化がまったく起こらないと考えることもできません。

 なお、この記事は別の戦闘についても書いています。

 カルザイ大統領のマルジャ訪問の間、アフガン北東部のバングラン州(Baghlan province)で、タリバンともう一つのイスラム教グループ「ヒズブ・エ・イスラミ(the Hezb-e-Islami)」が衝突しました。少なくとも武装勢力50人と人数が不明の民間人が死亡しました。ヒズブ・エ・イスラミは地域の軍閥の長グルブディン・ヘクマティアル(Gulbuddin Hekmatyar)に従っています。この戦いが地域の闘争か反政府組織間の分裂かは不明です。州の警察本部長カビール・アンダラビ(Kabir Andarabi)は、戦闘の圧力下に置かれた100人以上のヒズブ・エ・イスラミの戦士が政府軍に加わることを誓ったと言いました。この地域の警察指揮官、グラム・ムシィタバ・パタン将軍(Gen. Ghulam Mushtaba Patang)は、離反者の数を50人としましたが、状況は流動的だと言います。彼は、警察は移動病院を設け、離脱する気持ちのある戦士には誰にでも治療を提供しているといいます。

 離反者が出たのなら、これはヒズブ・エ・イスラミの中に、タリバンとの共闘を望まない者がいるということでしょう。また、治療を求めて戦士が離反したことは、ヒズブ・エ・イスラミが戦士の治療に事欠いている可能性を示唆します。いつも疑問を感じているのですが、タリバンなどの武装勢力は負傷者をどのように治療しているのでしょうか。戦えなくなった者はどのようにして暮らしていくのでしょうか?。米軍でさえ、大量の重傷者を抱え、彼らの社会復帰に苦労しています。よりレベルの低い医療・支援態勢しか持たない武装勢力はどうやって問題を克服しているのでしょうか?。この実態が分かれば、武装勢力に医療を提供することは、彼らの離反を促す戦略的手段としても使えるかも知れません。マルジャの診療所の設備を十分なものにして、そこで治療を受けた人たちの話が口コミで広がれば、重い傷を抱えるタリバン戦士が離反を考えるかも知れないのです。タリバンの無力化には、こうした一見、軍事とは関係ないように見える活動が重要なのです。


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