テロ計画発覚は二重スパイの功績か?

2010.11.1

 military.comによれば、シカゴ行きの荷物にトナーカートリッジに仕込んだ爆弾が隠されていた事件を教えたのは、元アルカイダのメンバーでした。

 匿名を希望する当局者は、サウジアラビアの武装勢力で、イエメンのアルカイダに参加し、9月下旬に投降したジャビル・アル・フェイフィ(Jabir al-Fayfi)でした。

 状況を知る、匿名のイエメンの部族長数名は、アル・フェイフィの役割を認めました。

 米当局者は、情報は計画が金曜日に阻止される直前に得られ、荷物の追跡ナンバーを特定するほど詳細だったと言いました。

 サウジアラビアが追跡ナンバーをどれだけ得たかは現在は分かりませんが、アル・フェイフィは荷物が発送される前にサウジ当局に投降し、追跡ナンバーを知らなかったとみられます。

 サウジ情報当局は何年もイエメンのテロ組織に浸透するために積極的に活動してきました。

 サウジアラビアは今月早く、アル・フェイフィが投降したと発表しました。彼は30歳半ばで、2001年にアフガニスタンでタリバンが打倒されたのに続いて米軍に拘束されました。彼は2007年初期まで、サウジに戻されるまで、キューバのグアンタナモベイに拘留されました。

 サウジで、彼は王国のリハビリテーション・プログラムを経験しました。しかし、釈放されるとすぐに、彼はイエメンに飛び、アルカイダに加わりました。9月に、彼はサウジ当局に帰国したいと接触しました。プライベートジェットがイエメンの首都サヌアに飛び、彼を取り戻しました。

 イエメン治安当局者は、アル・フェイフィが二重スパイとしてアルカイダに潜入させられたと疑っています。

 アル・フェイフィが爆弾事件を知らせたかどうかは別として、サウジ治安当局者はすぐにコメントできませんでした。

 しかし、アル・フェイフィの投降は別の計画を明らかにしたかも知れません。サウジは10月中旬にヨーロッパ諸国に、アラビア半島のアラビア半島による新しいテロの脅威を警告し、ヨーロッパ大陸、特にフランスで工作員が活動中だと言いました。

 サウジは何百人もの情報提供者をイエメンで徴募し、有力な部族長に気前よく俸給を払って彼らの忠誠心を確実にし、イエメンの軍隊にすら金を配ります。

以降には、サウジがテロ対策に熱心な理由が書かれていますが、簡単に紹介します。

 アラビア半島のアルカイダは、テロ対策を担当するマホメット・ビン・ナエフ皇太子(Prince Muhammad bin Nayef)を暗殺しようとしたとき、サウジのフラストレーションは最高潮に達しました。

 改心した聖戦士を装った自爆犯が、隠し持った爆弾を爆発させ、犯人はバラバラになりましたが、ナエフ皇太子は軽症でした。


 記事が示唆するように、アル・フェイフィがサウジの二重スパイで、アルカイダに潜入して重要な情報を持ち帰ったのだと思えます。ヨーロッパでのテロ計画を知らせたのも彼でしょう。凄まじいサウジ情報当局の能力には舌を巻きます。これに比べるとCIAは子供だましです。

 さらに、この事件はテロリストのリハビリテーションが、いかに重要かを教えてくれます。CIAによるテロリストの拷問は実を結ばなかったのです。アル・フェイフィをグアンタナモベイに収監し続けていれば、こんな情報は得られなかったでしょう。

 この手法には別の利点もあります。一度逮捕されたテロリストをアルカイダが二重スパイと疑い、信用しなくなるからです。

 ナエフ皇太子の暗殺未遂は、アルカイダがいかにこのプログラムを恐れているかを教えます。この事件は、2009年8月27日に起こりました。サウジの最重要手配テロリストにあげられていたアブドラ・ハッサン・アル・アシーリー(Abdullah Hassan Al Aseery)が、リハビリ・プログラムを受けたいとナエフ皇太子に申し出て、皇太子の宮殿で会う約束を取り付け、面会の場で自爆したのです。



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