アフガン・パキスタン戦線に朗報なし

2009.11.9

 フォート・フッド基地の銃撃事件の影響が残る中、アフガニスタンやパキスタンの状況も変化しています。

 military.comによれば、アフガン西部のバギス州(Badghis)のバラ・マーガブ地区(Bala Marghab district)で、NATO軍の空爆により基地の住居が爆撃され、アフガン人の兵士4人と警察官3人が死亡し、兵士15人と警察官1人が負傷ました。NATO軍は空爆が行われたかどうかについてコメントしていません。

 military.comの別の記事によると、同じバラ・マーガブ地区で、第82空挺師団第4旅団戦闘団の空挺隊員2人が、川に流されて行方不明になりました。ヘリコプターが連合軍基地に食糧を空中投下したところ、強風に流されて箱1個が川に落下し、取り戻そうとした兵士2人が流されたのです。この2人を捜索中に武装勢力の攻撃があり、NATO軍、アフガン軍の兵士25人以上が負傷しました。

 military.comの別の記事によると、一方で、アフガン政府の汚職追放に対して、欧米が発している圧力が相互関係にきしみを生じさせています。ノルウェーの外交官カイ・アイデ(Kai Eide)が、アフガン政府が汚職を容認し、政権内に軍閥の長を受け入れ続けるなら、国際的な資金や軍隊による支援を受けられると考えるべきではないと述べたところ、アフガン外務省が、公正な組織の代表者として国際基準と彼の権限を越えたコメントだと反発したのです。

 military.comの別の記事によると、パキスタン軍は南ワジリスタンのタリバンの拠点の内、サラロガ(Sararogha)とラドア(Ladha)を制圧し、さらに国内のタリバンの中枢、マキーン(Makeen)の完全支配を巡る戦いを続けています。過去24時間で、武装勢力12人が死亡し、パキスタン兵5人が負傷しました。また、高地に隠されたトンネルの奥深くで大量の武器と弾薬を発見しました。いずれの情報もパキスタン軍の発表で、確認されていません。難民は激しい戦闘が行われていると報告していますが、詳細は僅かしか明らかになっていません。

 概ね、悪い情報ばかりです。今朝のCNNニュースを見ると、物資輸送の車列も攻撃されて大きな被害を出しており、タリバンの攻撃は止みそうにありません。

 爆撃の方法がマクリスタル大将の新方針に切り替わった後でも、誤爆が後を絶ちません。しかも、今回は基地の住宅を爆撃したということです。この話が本当なのか、さらに詳細を知りたいと思います。

 兵士が川に流された話ですが、これは前線基地への物資補給が滞っている可能性を想わせます。元自衛官から、米軍兵士は演習で余った弾薬を土に埋めて、使ったことにするのを見たことがあると聞いたことがあります。豊富に物資を与えられている米軍なら、食糧の箱が川に1個くらい落ちたところで気にしないはずです。兵士が危険を顧みず取りに行ったのなら、補給が欠乏しているのかも知れないと考えざるを得ません。捜索に出てきた兵士を武装勢力がすかさず攻撃できるという点も、基地が常に監視下にあることを想像させます。つまり、タリバンの戦術は効果を発揮している可能性があるわけです。

 タリバンとの和平どころか、アフガン政府との関係もうまくいかないのは当然です。欧米社会では既に消滅した軍閥が幅をきかせるアフガンで、欧米の常識が通用しないのはやむを得ないことなのです。日本だって、以前は実力者への付け届けは常識でした。家族が病院で手術を受ける場合、医師に贈り物をする習慣もありました。これは家族に特別の配慮をして欲しいという主旨で行われていたものです。江戸時代後期には、奉行所の同心への付け届けは当たり前でした。有名な大塩平八郎の逸話にも、参考にすべき話があります。彼が大阪東町奉行所の与力だった時代、自分が担当した事件の当事者から菓子折が届けられ、開けてみたら小判が入っていたという話です。彼はこれをきっかけに奉行所内の汚職を知り、西町奉行所与力の汚職摘発で名をあげます。のちに、彼は飢饉で苦しむ大衆のために反乱を起こしてまで戦います。世に言う「大塩平八郎の乱」です。今のアフガンを急速に欧米化しようとしても無理です。変化を実現するには、長期間に渡る教育が必要です。たとえば、大塩の伝記映画をアフガンに大量に寄贈して、軍人や警察官に見せるのも効果があるかも知れません。

 パキスタン軍の掃討作戦は成功しているように見えるものの、ここ数年、まったく効果を生んで来ませんでした。占領した拠点を維持し続けられるのかが問題です。タリバンが主張するように、山岳地帯に引き込んだパキスタン軍に対してゲリラ戦を繰り返すのが可能なら、この掃討作戦はほとんど意味がなかったことになります。

 もはや、アフガン・パキスタン戦線に朗報は期待できません。

Copyright 2006 Akishige Tanaka all rights reserved.