グルジア紛争はロシア主導の侵略戦争

2008.8.20



 モスクワを拠点に活動している独立系の軍事アナリスト、パーベル・フレゲンハウアー氏(Pavel Felgenhauer)が今月14日に「JAMES TOWN FUNDATION」のコラムに掲載したグルジア紛争に関する論文「THE RUSSIAN-GEORGIAN WAR WAS PREPLANNED IN MOSCOW」を翻訳したので、掲載します。同財団に転載の許可を求めたところ、記事を転載する許可は出していないが、オリジナルの記事にリンクを張り、同財団に著作権があることを明示する限りは問題視しないという回答を頂きました。

 フレゲンハウアー氏は以前からロシアのグルジア侵攻を予測し、主張してきました。この論文の要旨は明確で、確実性の高い情報と考えられます。このコラムのお陰で、認識不足が補われ、疑問や誤解の多くが解けました。当然、私の私見もあるわけですが、あえてコメントは付けませんので、皆さんで考えてみてください。

 なお、文中の「EDM」は、このコラムの名称「ユーラシア・デイリー・モニター」の略です。なお、文中に「7月30日のEDMを参照のこと」という記述があったのですが、該当する文章を読んだところ、明らかにタイプミスであり、「7月31日のEDM」を指していることが判明しましたので、私の判断で修正してあります(修正すべきとメールで連絡したので、現在、原文は修正されています)。また、文中のリンクは私が設定しました。「※」で記した注釈も私が付けたものです。


モスクワが計画したロシア・グルジア戦争

2008年8月14日 第5巻156号
パーベル・フレゲンハウアー

 先週、グルジア共和国南オセチア分離主義者地域の軍事的緊張は全面戦争へと発展しました。オセチア人の分離主義者はロシア軍に直接侵攻の口実を与えるために紛争を引き起こしてきました。8月7日の夜遅くの、南オセチアの州都ツヒンバリに近いグルジア人の村に対する重迫撃砲の砲撃は、グルジア大統領ミハイル・サーカシビリに大規模な攻撃を命令させました。西側製の暗視装置を装備したグルジア軍による夜襲はオセチアの戦士を一掃し、朝方、ツンヒバリは制圧されました。グルジアの攻勢を止めるため、大量の装甲車を伴う大勢のロシア軍がロキトンネルを通って侵攻し、前方へ向かって突撃しました。ロシア軍のジェット機がグルジア人の軍事施設と街を爆撃しはじめました。(8月7日のEDMを参照のこと)

 8月8日から10日まで、グルジア軍はロシアの侵略者に対して、ツンヒバリ市内と周辺で熾烈な戦いを行いました。8月10日、グルジア当局は、全軍を南オセチアから退却させていると宣言し、休戦と和平会談を要請しました(8月10日、インターファックス通信社)。8月12日、ロシアのドミトリー・メドベージェフ大統領はフランスが仲介した和平プランを受託し、不確かな休戦が確定しました。グルジア軍はその戦力を首都トビリシの防衛に集中しました。大量のロシア軍と大量の装甲車は南オセチアとアブハジアに再配置されました。ロシア軍は、西部(ズグジジ、セナキ、ポチ)にあるグルジアの地方を占領するために、分離した地域から出て、地方警察部隊を武装解除し、グルジア軍の基地を破壊しました(8月13日、インターファックス通信社)。うろつき回るオセチア人の民兵組織とロシアの軍人が、ツンヒバリの南にあるゴリ市内と周辺で略奪を行い、地域住民を威嚇しました(8月13日、AP通信)。

 モスクワは、最初にグルジアが南オセチアを攻撃したことが開戦を強いたと宣言しました(8月8日、ノーボスチ通信社)。しかし、この大規模な侵攻が8月に向けて事前に計画されたという十分な証拠があります(6月12日のEDMを参照のこと)。大量のロシアの派遣部隊がグルジアに侵入した迅速性、黒海の海軍機動部隊の素早い派遣、グルジアが攻撃していないアブハジアへの大量の派遣軍が送られたという事実はすべて、緊密に準備された作戦計画を示しているように思われます。大軍は24時間の戦闘の準備では整えられないことから、この戦争は南オセチアでのグルジア軍の急襲に対する間に合わせの対応ではありません。この侵略は、グルジアが何をしたかに関係がなく避けられなかったのです。

 ロシアによる侵略の主軸はNATOに参加しようとするグルジアの願望であり、それに比べれば分離主義者の問題は口実に過ぎません。グルジアの占領は地政学的に重要な位置を締めており、モスクワは、もしグルジアがNATOに参加すれば、ロシアがトランスコーカシアから一掃されることを恐れていたのです。ウクライナとグルジアがいわゆるメンバーシップ・アクション・プラン(MAP)は得られなかったものの、最終的な参加を約束された、去る4月のルーマニアのブカレストでのNATOサミットが、戦争をはじめる決断を促進したと思われます(4月3日、インターファックス通信社)。

 武力を行使する前、モスクワは前兆となる脅迫を発しました。ロシアはアブアジアに対するCISの制裁措置を一方的に非難しました(3月6日、ノーボスチ通信社)。クレムリンが支配するロシア下院は、アブハジアと南オセチアの主権を承認することを求める決議を採択しました(3月21日、ノーボスチ通信社)。ウラジミール・プーチンはアブハジアと南オセチアに「叙述的ではなく、物質的な支援」を約束し、「迅速な大西洋沿岸諸国と統合」しようとするグルジアの熱望は安全保障を危険にさらすと発表しました(4月3日、www.mid.ru)。ロシア軍の最高指揮官ユーリー・バルエフスキーは、もしグルジアとウクライナがNATOに参加すれば、「我々の国境に近い利権を守るための軍事行動」を行うと脅しました(4月11日、ノーボスチ通信社)。おそらくは最後の警告において、ロシアの外務大臣セルゲイ・ラブロフは、グルジアが昨年11月にロシア軍が基地から移動した後、外国の軍事基地を禁じる法律を可決しなかったと訴えました(5月5日、タス通信)。ラブロフはグルジアの非協力的な態度と「西側のグルジアをNATOに引き込もうとする計画」を関連づけました(5月5月、タス通信)。

 実質的な軍隊の準備が行われました。5月31日、鉄道部隊が侵攻の基盤を準備するために、ソフミの南の鉄道線路を修理するために移動しました。7月30日、彼らは作業を完了し、8月の主要な戦闘の準備がすべて整いましたが、その後の悪天候が侵攻を遅れさせたようです。(6月12日7月31日のEDMを参照のこと)西側はロシア人の警告と準備を手遅れになるまで虚仮威しとして片づけてきたようです。米国務副次官補マシュー・ブライザはトビリシで、アブハジアの鉄道部隊の本当の任務を「たった今、我々は知った」と述べました(8月11日、インターファックス通信)。彼はEDMを定期購読することで、もっとうまくやれたでしょう。

 国家を総合的に破綻させ、改編されたグルジア軍を完全に破壊して、NATO参加を不可能にするという、ロシア人による侵略の中心的な課題は、大規模な破壊にも関わらず、今のところ達成されていません。さらなる攻撃と徹底的な破壊が計画されるかも知れません。射程110kmの弾道ミサイル・トーチカ−U(Tochka-U)がトビリシに届くアブハジアと南オセチアに配備されています。アブハジアの分離主義者によると、2発はすでにグルジア西部で発射された模様です(8月14日、ノーヴァヤ・ガゼータ紙)。明確な分離主義者によるミサイル攻撃は、大勢を殺すかも知れず、壊滅的なパニックを起こし、体制崩壊を及ぼすかも知れません。

終わり


注 釈
ロキトンネル グルジアとロシアの国境にあるトンネル。下の地図では、「Zemo Roka」の北にある。
トランスコーカシア アゼルバイジャン、アルメニア、グルジアの三ヵ国の総称。「カフカス山脈の向こう側」を意味する。
トーチカ−U 短距離弾道ミサイル。型式名「9M79-1」。「9M79」の改良型。NATOコードでは「SS-21」。「スカラベ」とも呼ばれる。通常爆薬なら120kgを搭載でき、戦術核を装備することもできる。射程120kmとの情報もある。
マップは右クリックで拡大できます。
マップは右クリックで拡大できます。
文中の「ソフミ」(原文では「Sokhumi」)は、

マップ中では「Sukhumi」と記載されています。

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