民間人の被害が多かった掃討作戦

2008.4.2



 ワシントン・ポストが、最近、バグダッドで起きた民間人の誤射事件を報じています。米軍報道官が、民間人への誤射、民兵たちとの交戦が起きていないと言った地域で、路上にいたイラク人が何人も射殺された事件が起きたというのです。

 アブデュール・クァーダー(Abdul Qader)は親しい隣人と自分の孫娘が死ぬのを目の当たりにしました。Abbas Fadhil(アッバス・ファドヒル)はタバコを買った時に殺害されました。いくつもの事例が記事で紹介されています。いずれも、米兵が突然発砲して、民兵と関係のないイラク人が死傷したのです。

 米軍報道官は、こうした事例はまったく報告されていないけども、完全に否定することは避けました。逆に、事実があるのなら知らせて欲しいと述べています。記者は、被害者たちに米軍に調査を求めたのかと尋ねたところ、間を置いてから「誰もどうしてそうしたんだなんて尋ねに行きはしませんよ」という答えがあったと書いています。実際のところ、こんなものでしょう。

 こうした状況は、配備された部隊が民間人の被害に頓着していないことを意味します。彼らは、すべてはコラテラル・ダメージと見るべきであり、一々報告して軍事裁判を開く必要はないと考えています。自分たちは国家のために働いているのであり、敵のために自分を犠牲にする必要はない、というのが軍人の一般的な意識です。これは無辜のイラク人に対しても同じことです。怪しいと見れば攻撃し、死体に尋問するのは、戦争でよく見られる光景です。今回、6日間でバグダッドとバスラで少なくとも400人のイラク人が死亡し、その多くは民間人だったという報告があります。どのニュースだったかは忘れましたが、アフガニスタンでも、地方の人たちはISAFの部隊を侵略者としか見ていないので、兵数を減らして欲しいという要望が出ているという記事を目にしました。

 日本が中国を侵略した時の状況と、現在のイラク・アフガンの状況には共通点があります。各地に軍閥が存在し、国家がひとつの政府によって統一されていないことです。簡単に片がつくと思って侵攻したものの、泥沼に陥るのは、各地の軍閥と個別に戦わざるを得ないためです。こういう戦争は思うようにはいかないものなのです。

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