米軍が嫌うイラクの裁判の実態

2008.10.20



 military.comの記事が、アメリカが米兵と民間軍事会社社員を起訴する権利をイラクに認めたくない理由を、よく代弁しています。

 イラクの法廷には陪審員がいません。証拠に関する規則は未完成です。評決と判決が同じ公判で行われます。未経験の裁判官や汚職(早く公判を開いてもらうために事務員に賄賂を渡す)が蔓延しています。裁判記録は逐語的ではなく、手書きのメモで要約が作成されます。弁護士が書類を読む暇がなかったと主張したところ、公判は数分間延期されましたが、その書面を読むには検問所を通り抜け、壁を爆破する必要がありました。法律はヨーロッパの法とアラブの規範に基づいて作られているものの、フセイン時代の法律と基本的なところで同じです。被告と目撃者に主に質問するのは、弁護士ではなく裁判官です。

 法律を学んで16年のイラク人の法律家は、こう述べます。若い裁判官は簡単な試験で裁判官に任命され、年配の裁判官は事件を理解するには耄碌しています。若い裁判官は手続きに疎いので、よく審理を延期します。しかし、イラクの裁判は中東で最も公正なので、米兵を公正に裁くことができると、彼は言います。

 建前上、裁判官は外部の干渉から独立していますが、フセインを絞首台に送った裁判官の一人がマリキ首相によって辞職させられ、首相の党の法律家と交替させられました。事前審理では、携帯電話がしばしば目撃者の声を遮り、裁判官がそれを要約して速記係に伝えます。弁護人は異議を申し立てたり、調査判事に反論するのは自由ですが、それはしばしば裁判官の心証を害します。

 私が知る範囲で、これを日本の裁判と比較してみます。

 裁判員制度が始まるまでは日本の裁判は判事制なので、この記事に違和感を覚える人がいるかも知れません。アメリカでは陪審員制度の方が一般的なので、判事制というだけでアメリカ人は不安を感じます。アメリカ映画を見ても、陪審員制度には強い期待が寄せられており、判事制に対するアメリカ人の不信感はとても根強いのです。判事制度下の裁判官は、検察寄りの立場を取ることが多いからです。

 日本の裁判では、速記は速記官がタイプすると同時に録音もされ、あとで照合して記録が作成され、裁判官、弁護人、検事に同じ物が届けられ、削除すべきところを削除して公式な記録として残されます。この点、イラクでは要約だけを残すという、非常に曖昧な手法が用いられています。

 証拠の検証に関して、日本の裁判は十分とは言えません。そのための予算はほとんど与えられておらず、大規模な検証が行われることがほとんどないことは、海外からも指摘されています。

 司法資格を持つ裁判官なら間違いを犯さないわけではなく、ひどいこじつけの判決文が書かれることもあります。しかし、手続きに疎い裁判官はほとんどいません。

 裁判官の独立は憲法にも記載がありますが、日本では事実上、裁判官はあちこちからの圧力を受けることは、公然の秘密です。私が傍聴した裁判でも、判決公判の直前に裁判長が不自然な依願退職をしたことがあります。

 日本の裁判では、公判が始まる前に携帯電話のスイッチを切るように注意されます。それでも、審理中に携帯電話が鳴ることがあります。携帯電話の呼び出し音と、公然と居眠りをする報道記者たちのイビキは、真面目に傍聴する者の権利を妨害しています。

 異議を申し立てる弁護士を嫌う裁判官なら、日本にも大勢います。裁判官が担当弁護士を嫌いだと、判決も変わるというくらいです。

 アメリカの裁判の基準通りでないと、心配で起訴権を渡せないというのが米軍の姿勢です。かつては日本で米兵が事件を起こした場合でも、米軍は日本に容疑者を引き渡しませんでした。度重なる事件のため、この問題は改善されてきましたが、こうした状況は日本の司法の問題にも原因があります。国連からも改善が求められているのに、政治家たちは何の運動も起こそうとしません。某法務大臣は在任中に、「大臣の署名なしに死刑を執行できないか」と、自分の仕事を楽にすることしか考えていないことを暴露しました。それでも、米軍が容疑者引き渡しに応じたのは、事件が連発したためでしょう。犯罪を犯したら祖国は守ってくれないと分かれば、少しは抑止力になるし、日本側の感情も和らげられるからです。

 しかし、イラク側にとって起訴権は不可欠です。米軍兵士が休日に外出するとは考えにくいので、これはむしろ民間軍事会社の社員を捕まえることを狙っていると考えられます。以前に、民間軍事会社の社員が面白半分に車上から周囲に発砲する映像が公開されたことがあります。この手の事件を減らすために、起訴権についてイラクは譲れないのです。最近、民間軍事会社の社員にも国際人道法(ジュネーブ条約)を守る義務が課されましたが、これはイラクに起訴権を持たせないための工夫だったのかも知れません。

 国連への委任統治が切れる年末までには、まだ時間があります。最終的にどちらが譲歩するのかが気になります。これは対テロ戦に大きな影響を与える問題です。


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