パパ・ブッシュが首相の靖国参拝を批判

2006.12.15



 ブッシュ大統領の父親、ジョージ・W・H・ブッシュ元大統領が「靖国神社を参拝することは歴史を否定することだ」「(参拝は)歴史を否定することだ。歴史の傷を治癒しようとする努力を傾けるべきだ」「歴史と掛け離れていること」「靖国神社に設置されている戦争関連施設には、真珠湾(攻撃)は米国の責任となっているが、(米国が)奇襲攻撃を受けたのは公然の事実」と述べたと朝鮮日報が報じました。14日、中国科学院が北京で主催した講演会での質疑応答で出たといいます。この発言が質問に対する答えだったのか、元大統領の自発的な発言だったのかは記事に書かれていません。

 こういう意見はアメリカ人に普遍的にあるものですし、特に、ブッシュ元大統領は第二次世界大戦で雷撃機のパイロットとして日本軍と戦った人ですから、なおさら不思議ではありません。しかし、元大統領としては異例の発言だとは言えます。

 小泉純一郎氏が靖国参拝に固執したのは本当に不思議です。私は遺族会の票狙いとしか見ていません。小泉氏自身は、特攻兵士の記念館を訪問して感銘を受けたことが動機と説明しています。しかし、そういう記念館を見学したら誰だってそんな気持ちになるでしょう。国の指導者なら戦争全体を学んだ上で判断を下して欲しい、と思います。少なくとも、近代戦に関しては基本的な本には目を通しておいて欲しい。兵士が個人的に書いた手紙と国家政策は明らかに別物であり、それらを混同するのは思考が未整理のために思えます。戦術戦略の難しさ、戦争の霧(戦争の不確実性のこと)、軍人や民間人が被る戦禍に思いをめぐらせば、祈ったところで何の足しにもならないことは火を見るより明らかです。

 おそらく、ブッシュ大統領は毎日、派遣した米軍兵士の安全を神に祈っているでしょう。しかし、そんなものは現場の兵士にとって何の足しにもならないのです。カナダで制作された戦争をテーマとするドキュメンタリー番組で、米軍(海兵隊だったと思いますが)の訓練下士官がこう言っていました。「いま、学校では子供たちにお祈りをさせる時間がありますが、軍隊では祈りなど何の意味もありません。兵士を育てるには基礎訓練あるのみです」。戦争の事実を目の当たりにして、祈りたくなるのは、基本的に戦争に対する恐怖心があり、そこから目を逸らすことで安心したいという心理によるものです。しかし、その安心は一時的なもので、戦争の恐怖は目を開ければ再び目の前に迫ります。つまり、戦争に関して祈る行為は煙草を吸うのと同じで、ニコチンの効果がなくなると、また煙草を吸いたくなるのと同じなのです。祈りとニコチンを一緒にするのは不謹慎かも知れませんが、すべての祈りを否定する気はありません。しかし、本当に戦争を防ぎたいのなら、祈るのは別の機会にすべきです。戦争に関して祈ったところで、平和はやってきません。戦争は人間の崇高な精神をも平気で破壊するからです。

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