ノルウェーがクラスター爆弾禁止条約を提案

2006.11.18



 BBCが、レバノンにおけるノルウェーのクラスター爆弾への取り組みを報じています。

 ノルウェーは、クラスター爆弾を世界規模で使用を制限する取り決めに向けた国際会議を要請しています。これは国連がクラスター爆弾の制限に失敗したことを取り返そうとするものです。ノルウェーは対人地雷の使用を制限したオタワ条約をモデルにした合意のために、国連以外の場所で動いてくれる国を求めています。ノルウェーは昔から国益とは関係なくこうした活動を積極的に推進してきました。国際的な平和の達成は長期的には国益になると判断しているからです。

 クラスター爆弾は、一つの爆弾の中に数百の子爆弾が入っており、目標の上空で散開して、目標地域に広範囲に着弾します。爆発しなかった子爆弾はそれと知らずに近づいた人を殺傷し、民間人に莫大な被害をもたらしています。この被害は対人地雷の場合と共通点があります。

 そこで、ノルウェーは対人地雷禁止条約と同じスタイルのクラスター爆弾禁止条約を構想しているのです。オタワ条約には154ヶ国が参加しました。もちろん、日本も参加しています。

 日本は当然この取り組みに参加すべきです。自国領域内でしか武力を行使しない日本にとって、国民に被害をもたらす危険があるクラスター爆弾は不要であり、参加することに何の支障もありません。しかし、他国が提案した活動に参加するだけという態度もいい加減に改める必要があります。

 平和主義を掲げているにも関わらず、日本の平和活動の大半は海外の活動に参加することだけです。イラクへの自衛隊派遣はその好例です。国民的なコンセンサスが得られるのは原水爆に関することだけで、その他の平和活動に対する国民の意識はまったく低いのです。そんな国民が選ぶ政治家だから、突然、核装備を議論すべきだと叫んでみたり、調子の外れたことばかりやっているのです。戦後半世紀を過ぎても未だに自主的な国防議論ができていません。すべてが島国である利点を利用すれば、日本は海外の圧力をうまく避け、国際的にも穏健な立場を貫けるはずです。そういう立場を築いて、文民を中心とした国際的な平和活動への参加を国是とするような穏やかな国になることができるはずです。ところが、自民党からはアメリカの軍事力に依存した国防政策しか聞こえてこない上、時として、敵地攻撃論だの、核装備論だの、意図不明の話しか出ません。おまけに、主張する政治家たちは、正しいことを言っていると信じて疑わないのだから手に負えません。しかも、野党第一党の民主党からは似たような声しか出てきません。彼らは野党の仮面をかぶった与党なのでしょう。こうしたすべての政治家には、「少しはノルウェーを見習え」と言いたいのです。

 大体、国会でこうした活動に関して議論が行われる時、「良いことなので賛成」という子供じみた議論しか行われないのが常です。ジュネーブ条約の追加議定書への加入が議論される最中、イラクで日本人3人が拉致されるという事件が起こりました。この追加議定書の中身は、まさに戦地での民間人の保護規定を拡大するもので、NPOやジャーナリストの保護を規定し、活動の範囲を広げる条項が含まれていたのです。国会でその議論をしている最中だったのだから、拉致に対する強い批判が国会から発せられなければいけませんでした。ところが、総理自ら被害者を非難し、国民の間にもそれが拡がるという変な現象がみられました。そして、事件から少し経ってから、追加議定書への加入は国家で承認されました。これはいかに国会の議論が無意味かという客観的な証拠です。

 私は日本の平和主義は失敗した、いびつな平和主義だと思います。看板を掲げただけで、個々の事案には実利だけを追求するのは「真の平和主義」とは言えません。不幸なことに、戦後の平和主義は軍事知識を封印する方法を選択しました。クラスター爆弾禁止条約はこの手法からは生まれないものです。戦争を制限する条約を考える上で軍事知識は不可欠です。それを無視する以上、日本はそれ以外の場所でしか活動できません。こういう状況を打破しない限り、日本が国際社会で名誉ある地位を占める日は来ません。

 それでも、大手メディアはこんなことは取りあげないので、国内では問題にはならないのです。先の、追加議定書の国会議論も、ほとんどの人は記憶にないはずです。一人だけ鋭い質問をした野党議員がいましたが、新聞やテレビはそういう討議を取りあげないのです。大手メディアが政治家を批判するのは、汚職の証拠が出た時だけで、政策に関しては甘い評価に留め、赤恥はかかせないように加減するのが常道です。しかし、私はこうした光景を見た外国人記者が自国で報じ、海外から笑われることを心配します。それは、外国が日本との外交交渉と行う時に必ず利用され、負の要素として返ってくるからです。平和を追求する上でも細心の注意を払うべきなのです。

Copyright 2006 Akishige Tanaka all rights reserved.