ロバート・ゲーツはイラク危機を救えるか?

2006.11.9
修正 2010.8.17



 米中間選挙は民主党の勝利に終わり、上院下院共に過半数を超え、知事選でも多くの民主党系知事が誕生し、同時に行われた住民投票でも中絶禁止法が否決と、すべてにおいて民主党優勢の結果が出ました。イラク政策の失敗と共に、キリスト教保守主義に対する嫌気が前面に出た結果だと思います。

 余談ながら、最後まで勝敗が決まらなかったバージニア州で民主党から上院に出馬して当選確実となったジム・ウェッブは、レーガン政権下で海軍長官を務めた海兵隊出身者ですが、映画「英雄の条件」の原案を書いた人でもあります。この作品は交戦規定について描いた作品ですが、舞台が中東のイエメンで、米海兵隊が大勢のイエメン人を殺害する事件を描いているため、今回、ウェッブが当選したことにはちょっとしたアイロニーがあります。彼が当選したのは、イラク撤退を政策に掲げたためでしょう。(あるいは、選挙期間中に「英雄の条件」がテレビで再放送されなかったため?!)

 また、アーノルド・シュワルツェネッガーがカルフォルニア州知事に再選されたことについて、アメリカのニュースキャスターが「彼の『カルフォルニア』の発音はどうしても真似できない」と、彼のオーストリア訛りを皮肉ったのには笑ってしまいました。以前に、ある政治家がシュワルツェネッガーの訛りを馬鹿にする発言をしたところ、彼に「移民への侮辱だ」と反論された事件がありました。アメリカでは人種差別発言は連邦政府の政治家として致命的で、この中間選挙でも、ライバル陣営のインド系運動員に向かって「マカカ(サルの一種)」と言った政治家が批判の集中砲火を浴びて落選しました。

 話を戻します……全面的な敗北を受けて、ブッシュ大統領はラムズフェルド国防長官を辞職させました。先日、ラムズフェルドの罷免要求を掲げたarmytimes.comは、長官の辞職に対する軍人たちのコメントを掲載しています。軍人たちは賛否両論らしく、喜んでいる人もいれば失望している人もいるという状況です。

 そこで気になるのは、後任に決まったロバート・ゲーツの人物像です。ゲーツは無党派ながらも共和党にシンパシーを感じる人物です。彼が国防長官に就任するためには、上院の承認が必要です。つまり、ブッシュ大統領にとっても、僅差ながら上院で優勢に立った民主党の協力なしにはゲーツを国防長官にすることはできないため、民主党も納得する人を選ぶ必要があるわけです。これを手始めに、ブッシュ大統領は民主党の意向を気にしながら政治を進めることを余儀なくされます。military.comがゲーツの経歴を掲載しています。簡単に要約してみました。


 1943年9月25日生まれ。カンザス州ウィチタ出身。ウィリアム・アンド・メリー大学で学士号取得。インディアナ大学で歴史学の修士号取得。ジョージタウン大学でロシア語とソ連史で博士号取得。インディアナ大学に在籍中にCIAにリクルートされる。

 空軍に2年間在籍し、ICBM要員に情報をブリーフィングする仕事に就く。その後、中央情報局(CIA)にフルタイムで雇用されました。1974年に国家安全保障会議のスタッフとなりましたが、1979年にCIAに復帰。1986年には、DCI(CIA長官)とDDCI(CIA副長官)付きの幹部スタッフの長になり、同年より1989年までCIAの副長官を務める。1987年にCIA長官に指名されたものの、上院がイラン・コントラ事件における彼の役割を理由に指名を拒否することが明白となり、引き下がる。1989年まで国家安全保障問題担当大統領副補佐官を務め、同年から1991年までは同補佐官を務める。1991年、CIA長官に就任し、史上初の一職員から長官まで昇進したCIA職員となる。

 1993年にCIA長官を退任した後は、自叙伝(From the Shadows: The Ultimate Insider's Story of Five Presidents and How They Won the Cold War)を書き、2002年にテキサスA&M大学の学長になり、複数の企業(NACCO Industries, Inc.Brinker International, Inc.Parker Drilling Company, Inc.)の取締役にもなる。少年期に所属していたイーグルスカウトの連盟会長も務めた。2005年2月、彼がCIA長官に就任するという噂が流れたが、本人は否定。2007年にはブッシュ大統領から国家情報局長官の椅子を打診されたものの固辞。



 ゲーツの国防長官指名に支障があるのはイラン・コントラ事件だけでしょう。その他の国家への献身は民主党とて文句をつけようがありません。この事件は、1986年にレーガン政権がイランに対して、武器を売ったことを、レバノンの新聞が報じたことで発覚しました。米政府がヒズボラに捕まっている30人の人質を解放することを条件に武器を売ったのです。実際には、人質事件が起きる何年も前から武器の供給は秘かに行われていました。コントラに対しては、武器を売るのではなく麻薬取引によって資金が供給された点が問題視されました。ゲーツはこれらの秘密の取引を知る立場にあったのです。しかし、上院はこの事件を問題視するものの、明確な意見を付記した上でゲーツの就任を承認すると予想します。民主党がここでさらなる攻勢をかけ、ゲーツを却下して別の人を推薦するような行動に出る可能性もありますが、正直なところ民主党がそこまでの構想を抱いているようには見えません。

 ゲーツの経歴を見て分かるのは、彼が典型的なアメリカ人であり、冷戦の申し子であるということです。学歴がそれを物語っていますし、その後のキャリアも然りです。そして、現在は政治ではなく、学会での活動を望んでいたようです。しかし、ブッシュ政権が危機的状況となり、再び政界へ戻ることになったようです。はっきり言えば、「これ以上は断れない」という判断が働いたものと想像できます。もっとも、彼は、イラク政策を見直すベイカー委員会のメンバーの一人ですから、政治への復帰の兆候はあったようです。そこで気になるのは、彼がどれだけ中東のことを知っているかということです。ソ連と中東との関係に関する知識は豊富でしょうから、知識は十分に持っているでしょう。しかし、イラクの混迷はそうした知識の遥か上を行っています。それを彼がどう切り抜けるかが注目されます。共和党としては、ゲーツは最後の切り札です。冷戦時代のエースを投入してもイラク問題を切り抜けられないとすれば、アメリカとしてはお手上げということになります。共和党としても本気で解決にかからなければなりません。

 ゲーツにも妙案はないでしょう。例のイランとシリアの協力で治安を安定させる方法が選択されるのは間違いなく、ゲーツはそれを推進することになると予想できます。この政策の欠点は中東にシーア派の巨大なグループを作ってしまうことです。最も先進国に近いスンニ派は弾圧されることになるでしょう。アメリカが描いた中東の民主化はこれによって実現できなくなり、さらに言えば、中東全域に古いイスラム主義を復活させるオサマ・ビン・ラディンの理想に、皮肉にも一歩近づく危険があります。

Copyright 2006 Akishige Tanaka all rights reserved.