吉進丸事件・拿捕の経緯が一部判明

2006.9.21

 北海道新聞によれば、8月16日にロシア警備局に吉進丸が拿捕される経緯が、起訴状から分かったということです。しかし、発砲にいたる経緯は一切書かれていませんでした。その要旨をまとめると、次のようになります。

5:17 AM
  • ロシア警備艇が貝殻島近海で吉進丸を発見。
  • 2名の隊員が乗ったゴムボートが出発。
  • ロシア警備隊員は吉進丸から556mの距離で、日本漁船であることを目視で確認。
  • 吉進丸に80mに迫った時、同船はまたカニかごを揚げる作業を続けていた。
  • さらに接近したところ、日本領海に向けて動き出し、カニかごとプラスチック箱を海中投棄しはじめた。
5:45 AM
  • ゴムボートを吉進丸の舷側に寄せ、隊員1名が乗船。
5:54 AM
  • 吉進丸が停船。

 今回の報道で、警備艇が直接追跡したのではないことが分かります。警備艇からの発砲はなかった可能性が高まりましたが、発砲していても起訴状には記載されなかったでしょう。

 これまで報道された内容と矛盾することがいくつかあります。

 帰国した乗組員は、当時の視界を20〜30mと証言しており、500m以上遠くから確認したというロシア警備隊の主張と大きく異なります。月齢を調べてみると、当夜は下弦の月でしたから、ある程度の見通しは利いたと考えられますから、双眼鏡を使えば日本漁船と分かったかも知れません。しかし、その判定は微妙なところだと思います。

 船長は、逃げようとしたのではないと証言していますが、カニかごやプラスチック箱(中には獲ったカニが入っていたと考えられる)を捨てたのなら、証拠隠滅の意図があったと考えられます。つまり、追跡されていることを認識していた可能性が非常に高いことになります。

 ロシアに完全に密漁の件だけで押し切られることになったのは、日本側が領土問題をからめたためと考えられます。当初、ロシアは死者を出した点については謝罪する準備があったはずです。ところが、日本側が領土問題だけを前面に押し出して反発したため、ドアを閉じて、密漁だけを厳しく裁くよう方針を変更したのです。ゲーム理論では、互いが相手の考えを考慮した時、お互いが最も満足する結果が得られると言います。今回、日本はロシアがどう考えるかを考えようとしませんでした。それが、銃撃の件を突破口にして、少しでも有利な交渉をするチャンスを失わせたのです。

 安倍晋三氏が総理大臣になることが確実になり、麻生太郎氏が外務大臣に再任される可能性も高まっています。こういう外交が今後も続くことは明らかで、それが日本にどんな悪影響を及ぼすかが心配です。

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