吉進丸事件・記者会見で真相は語られず

2006.8.31

 吉進丸の二人の乗組員が解放され、記者会見で新しい情報がいくつか開示されました。しかし、銃撃に至る経緯は明らかにされませんでした。記者会見に参加した記者たちも、あえて問題点を避けて質問していたとしか思えません。警備艇とゴムボートのどちらに追跡されたのか? ロシア警備隊はどのような方法で停船命令を行ったのか? 吉進丸はどれくらいの距離を逃走したのか? 吉進丸は体当たりをしたのか? これまで曖昧だった部分はほとんどそのまま残されたのです。

 「ゴムボートが左後ろから現れて、数十秒後に撃たれた」「自分も撃たれるかと思った」「ロシア人が叫んでいたが、よく覚えていない。盛田さんが撃たれているのが分かり伏せた」「引き揚げたカニかごに絡みついたコンブを捨てる作業中、国境警備隊のゴムボートが真横にいるのに気がついてから、撃たれるまで数十秒でした。船は低速で動いていました」「(視界は)かなり見えなかった。二、三十メートルくらいでした」(北海道新聞)

 これらの証言から、疑問を解消することはできませんでした。しかし、ロシア警備当局の情報として、坂下船長が「何かの光を見たが、午後五時ごろで暗かったため、停船を命じる信号弾だとは分からなかった」「(ゴムボートの接近は)気が付かなかった。ゴムボートを沈没させようとしたことはない」と供述し、逃走しようとしたことは認めているという情報があります。

 これらの情報を総合すると、視界が悪い状況で、ロシア警備艇は低速で航行する吉進丸に接近すると、ゴムボートを下ろして追跡を始めたことになります。この段階では無線だけで停船命令が通告されており、坂下船長はそれを聞いていなかったと推定されます。機関砲による信号弾の発射はなかったのかも知れません。ゴムボートは吉進丸の左後方に接近し、吉進丸の近くまで来たところで坂下船長がゴムボートを確認しました。彼は増速してゴムボートを振り切ろうとしました。ゴムボートも増速して追跡を始め、停船させるために自動小銃を上方へ向けて発砲。あるいは同時に信号弾を撃ったかも知れません。吉進丸がなおも停船せず、この時、故意か偶然かのいずれかにより吉進丸がゴムボートに接触しそうになったため、ロシア警備隊員が操舵室に向けて発砲しのたです。

 普通は、警備艇から無線、サイレン、ネオンなどの方法(海上保安庁の手法)で停船を命じ、停船した段階でゴムボートで乗り込むのでしょうが、この時、ロシア警備艇からは吉進丸がすぐに停船するように見えたのかもしれません。ゴムボートを下ろした段階で、無線だけでなく、複数の方法で停船を命じ、安全を確認してからゴムボートを接近させるべきでした。視界が悪い状況ではなおそうすべきです。いずれにせよ、銃撃に至るプロセスを解明するにはさらなる情報が必要です。

 また、31日、NHKは吉進丸には操舵室を中心に数十発の弾痕があったという乗組員の証言を報じました。しかし、ロシア側は吉進丸には一発も弾を当てていないと発表しています。吉進丸の船体を見る以外に確認する方法はありませんが、船体が返還されるかどうかは決まっていません。山中あき子政務官が訪問した時に、吉進丸の船体は確認されなかったようです。

 なお、8月17日の記事で書いた吉進丸の発見位置(北緯43度24分3秒、東経145度50分27)は、外務省の情報によると拿捕位置となっています。発見位置の正確な位置情報は見つかっていませんが、私が報道で見た地図では吉進丸が一定の距離を逃走したように書かれていました。発見位置は貝殻島南方という情報もありますから、拿捕位置までは2kmくらい離れていることになります。この距離を吉進丸が逃げたのかどうかも解明されるべきです。

 記者会見に臨んだ乗組員は、「大変お騒がせしてすみません」と言った直後に歯を見せて笑いました。それは、あまりにも未熟な若者の姿でしかありませんでした。英雄ではない者を英雄扱いした日本政府やマスコミは反省すべきです。

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