昭和天皇の真意を明かした富田メモ

2006.7.21

 この半月間、北朝鮮のミサイル問題ばかりに話が向いてしまいました。そろそろ、他の問題に目を向け、整理していく必要があると思います。テポドン2は設計から見直す必要があり、2発目の発射は当面はないと考えてよいでしょう。目の前の危機はとりあえずないと見てよく、今後は長期的な展望を眺めていくべきだとも考えます。

 そう思っていた時、富田朝彦宮内庁長官のメモが公開され、昭和天皇が靖国神社への参拝を止めたのは、A級戦犯が合祀されているためだと言ったことが報じられました。ここまではっきりと参拝中止の理由を天皇が述べたのははじめてで、正直なところ驚きました。もっともそう思える理由はあり、それが裏付けられたというべきでしょう。

 靖国神社問題は本質的には軍事問題ではありません。これは軍人の福利厚生の分野に属する問題で、この問題に関して軍事的な見地から語ることはほとんどできません。ただ、中国と韓国の抗議という政治的な問題は存在し、それを軍事的な見地から考えることは可能でしょう。靖国神社の是非論については必然的に思想論争になり、大抵の場合不毛な議論に終わるので避けます。

 私は昭和天皇の意見を、A級戦犯全員を対象とするのではなく、自分の意図に反した側近が奉られている神社には参拝できないという意味に受け取りました。富田メモに「A級が合祀され その上 松岡、白取までもが」と書かれているので、A級戦犯全員が対象とも受け取れますが、白鳥敏夫、白鳥敏夫はどちらもA級戦犯ですから、特にこの二人の名前があがったことに注目せざるを得ません。天皇が側近に対して抱いていた不満を漏らしたことは何度も伝えられており、松岡は特に嫌われていました。そうした人物は他にもいます。しかし、A級戦犯の中には開戦に反対していた人たちも含まれていました。起訴のやり方がいい加減で、被告の中には無関係な人たちもいたのです。外務大臣の東郷茂徳は開戦反対論者だったのに有罪とされ、禁固20年の判決を受けました。昭和天皇がその人たちまで嫌っているとは考えられません。むしろ、気の毒なことをしたと思っているはずです。

 また、A級戦犯の「A級」は罪の重さではなく種類を表しています。当時、戦犯は罪の内容によって、3種類に分けられていました。「級」という言葉が使われたため、等級のように思われましたが、実際には条項のことであり、言うなれば「A項戦犯」とでも言うべきでした。

 A:戦争を企てた「平和の罪」「人道の罪」
 B:ワシントン条約、ジュネーブ議定書の違反
 C:民間人の虐殺など「人道に対する罪」

 この内、当時の法律で裁けるのはBであり、AとCについては国際法上問題があると言われていました。これについては多くが論じられているので省略しますが、日本人には該当者がいなかったC級はともかく、A級だけが問題とされ、B級が問題視されないのは私は変だと考えています。中国も韓国も、B級戦犯を問題視しないのが私には理解できません。これらの戦犯に違いがあるとすれば、B級は各国が現地で裁判を行い、A級は連合国が合同で裁いたこと。つまり、第二次世界大戦の結末を示す象徴的な存在であったためだということになります。現地で韓国や中国の人々を苦しめたのはB級戦犯だったはずです。A級ばかりが強調されるのは、それがこの大戦の結末を象徴するためでしょう。

 当時これが問題にされなかったのは、日本の脅威が誇張されて宣伝されたためもあると私は考えます。アメリカの大衆には、日本はアジアを支配した後、オーストラリアやシベリアを経由してアメリカに攻め込むつもりだと宣伝されました。そのために、何者かによって「田中上奏文」のような怪文書が作られ、アメリカではそれを根拠としたドキュメンタリー映画が製作されました。日本とドイツが領土を広げ、インドあたりで世界を二分して支配するという妄想がかったシナリオも作られました。こんな力があったら日本は戦争をする必要もなかったと思いますが、こうした認識が一般的だったために、「平和の罪」を裁くのは当然だという理屈が通り、そのために半分超法規的な裁判が行われたのです。

 これは歴史の通例で、脅威は常に誇張されるものなのです。脅威の誇張の先には必ず戦争が待っています。また、日本は幕末期にフランスから軍学を学び、その後、ドイツがヨーロッパの一等国になったため、ドイツから軍学を学びました。その他の分野もドイツにならい、それが継承されてドイツとの軍事同盟に至りました。日本にとって第二次世界大戦は、何でもヨーロッパと同じようにする手法の終着駅でもありました。しかし、この発想は現在も続いており、日本は第二次世界大戦をきっかけに大国の道を歩んだアメリカと必要以上に強く連携しています。日本が攻撃的な政策を採らないのはアジアの安定のためであり、そのために米軍を受け入れていると考えるべきです。それ以上の軍事的な結びつきは不要であり害悪です。日本の政治にそういうパラダイム・シフトが起きるのは、現在政治の中枢にいる世代が引退してからなのかも知れません。
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