米空母キティホークが小樽に寄港

2006.7.6

 7月1日、小樽港に米空母キティ・ホークが寄港しました。折しも、テポドン2が発射準備に入っていると言われていたため、この寄港は北朝鮮のミサイル問題と関連づけられて報道されることになりました。コメンテーターの中にも、この主張を肯定する人たちがおり、それで当然だと考えている人は多いはずです。しかし、地元テレビ局の取材に応じた艦長は「現在進行中の脅威とは関係がない」と述べていますし、私がキティ・ホークの甲板上で少佐に質問してみたところ「休養のため」という答えでした。米艦船の寄港の理由をはっきり説明した人を、私は見たことがありません。

 確かに、1997年以降、米艦船の小樽寄港は増えています。現在まで、2〜3年ごとに米艦船が寄港するようになりました。なぜ、わざわざ小樽港に来るのか、それ相応の理由があるはずです。しかし、前述の少佐は、寄港の計画は1年前からあったと述べており、5月に発生したミサイル発射問題とは関係があるとは思えません。また、キティ・ホークはグアム沖で行われていた演習「バリアント・シールド」に参加したあとで小樽まで北上し、隊員を休養させているのであり、これでは北朝鮮に対して何の圧力にもなりません。私が知る限りでは、米艦船の過去の小樽寄港は次のとおりです。

 1997年9月5日 空母インディペンデンス
 2000年10月13日 空母キティホーク
 2003年2月8日 揚陸指揮艦ブルーリッジ(第7艦隊旗艦)
 2005年2月4日 イージス艦ジョン・S・マッケイン
 2006年7月1日 空母キティホーク


 最も説明しやすい理由は、1991年のソ連崩壊以降、この海域ではロシア海軍の勢力が弱まったため、米海軍がしばしば訪れて訓練を実施し、一定のプレゼンスを確保していて、そのために日本海側に寄港先が必要になったということです。他には、新潟港への寄港も増えています。舞鶴港には海自の基地がありますから、北日本の寄港先として新潟と小樽が選ばれたのだと考えられます。こう考えないと、グアム沖からわざわざ小樽まで来た理由が説明できません。

 日本海北方で米海軍がどんな訓練をしているかは調査していませんが、海軍安全センターのサイトに書かれた記事(Where's My Rudder?)からも長期間の航海をしているのは明らかです。記事には年が書かれていませんが、キティ・ホークが秋に小樽に寄港していることから、2000年のことだと考えられます。

 我々は日本北岸沖で年一度の秋の航海の途中だった。USSキティ・ホークは、さらに1ヶ月の航海に出る前に数日間の休暇をとるため、日本の小樽に入港する準備をしていた。艦は、入港中に船を訪れようとする大勢の日本人のために甲板のスペースを必要としていた。そこで、副艦長と私は厚木基地で1週間家族と過ごすために「グッド・ディール」に飛び乗って、自宅へと飛んだ。1週間家で過ごした後、我々はフライト・ギアを持ち、艦へ戻る準備をした。

 この記事からは小樽が日本海北部の航海の休息のために利用されていることが分かります。長期間の航海の息抜きのためには大都市にアクセスしやすい港に寄港する必要があります。苫小牧港は近くにJR駅はあるものの札幌まではやや遠く、石狩湾新港にはJR駅がないためチャーター・バスを用意する必要があります(路線バスの乗り継ぎは論外です)。その点、小樽港の勝納埠頭にはすぐ近くにショッピング・モールがあり、モールに連結された小樽築港駅があります。快速電車なら25分間で札幌に着きます。初めて訪問する水兵たちには分かりやすい地理条件です。

 左翼の人たちがいう小樽港の「軍港化」は港を相当に改造しないと無理で、それは小樽の経済そのものを破壊することから考えにくい話です。しかし、「慣れは危険だ」という指摘には同意できます。特に、目下のところ、小樽港は休暇のために利用されていますが、それは日本海北部での訓練だということがポイントです。キティ・ホークは小樽を出た後、日本海を航海する予定なのかも知れません。米艦船の寄港で小樽が危険になることは考えられませんが、米軍の行動傾向と承知しておく必要はあります。それは米海軍と行動を共にすることが多い海上自衛隊の行動傾向でもあります。今回、ゆうぎりがキティ・ホークと一緒に寄港したことはそれを反映しています。また、今回の寄港では、警備費用など3千万円以上を小樽市が負担しています。寄港による経済効果がどれほどのものかを小樽市が正確に調べておかないと損するばかりです。小樽市は財政が厳しい道内の市町村の一つにあげられていることに注意が必要です。

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