標的(ターゲット)は11人—モサド暗殺チームの記録
 この本は、ミュンヘン事件(1972年9月5日、ミュンヘン・オリンピックの選手村を黒い9月のメンバーが襲撃し、イスラエル選手11名を殺害した事件)の報復として編成された暗殺チームが、アリ・ハッサン・サラメをはじめとするアラブ・ゲリラを殺していく過程を描いています。このような事実がどうして本に書かれたかというと、チームのリーダーだったアフナーが告白したためです。恐らくは、アフナーは生活費のために、この本の企画を出版社に持ち込んだのです。著者ジョージ・ジョナスは、出版者からの勧めで、アフナーのインタビューや現地取材を行い、本としてまとめ上げました。スティーブン・スピルバーグ監督の「ミュンヘン」は、この本を原作としています。

 私がこの本を読んだのはかなり前になります。その時も現在も、感想はあまり変わっていません。それは、この本には事実に基づく部分とそうでない部分があると推定されるということです。ジョナス自身、アフナーが本物の元モサドの工作員なのか確認できたわけではなく、彼の証言と現地調査の結果を突き合わせて、大きな矛盾がないことを論拠においているだけです。この本で書かれていることには、ほとんど物証は
ありません。ベイルードのPLO本部襲撃など、事実として明らかになっていることもありますが、ほとんどすべてがアフナーの証言しか証拠がないのです。もちろん、アフナーという名前も偽名に違いありません。当然、出版後、さまざまな批判がジョナスに対して起こりました。ジョナス自身、アフナーの話をすべて信じているわけではありません。ジョナスも、有名なスパイ小説家のケン・フォレットも、このほんの一部は明らかに虚構だと述べていることを取材ノートの中に書いています。

 私もこの本に書かれたことのいくつかには疑問を持っています。それは主に、フランス人の「ルイ」という地下組織の幹部と彼の家族に関する部分です。アフナーたちはさまざまな情報をルイの協力で手に入れます。もうひとつは、スイーパー(計画の準備や後始末の担当者)のカールが、美人の殺し屋に殺される部分です。ルイのグループのような地下組織が実際に存在し、金だけで闇の情報を提供するというのは、にわかに信じられない話です。カールはホテルのバーで引っかけた女を部屋に連れ込み、ベッドで射殺されます。アフナーも同じ女にバーで声をかけられており、彼女がカールを殺したと確信します。しかし、この下りは、特徴のある麝香の香りでその女が犯人だと分かるという、ミステリー小説のような展開で、どうも本当だとは思われません。セックスを餌に標的を殺す女殺し屋は、小説や映画の中にだけ存在するものです。標的に姿をさらさずに殺す方がよほど簡単だと、誰でも考えるはずです。また、カールの死体の始末はルイの組織が担当するので、そもそも存在が疑わしいルイですから、余計に信じがたくなります。

 スピルバーグ監督は、こうした原作の欠点を理解した上で映画を製作したようです。それは「報復」を批判するために、この事件をしたためでもあります。ラストシーンで、遠くの方に世界貿易センタービルが見えるのは、9・11事件以降のアメリカが報復に走っていることの隠喩です。これについて、イスラエル側からは、事実と違うとか、ミュンヘン事件と9・11事件を結びつけるべきではない、という批判がなされました。しかし、映画の出来は良好で、こうした批判は作品論とは別に聞いておくべきでしょう。

 そうは言っても、この本が強い現実性を持っているのも否定できません。ジョナスと出版社がすべてでっち上げたという危険性はありますが、こうした事実が存在した可能性を理解するために読んでおく必要はあると言えます。(2006.12.26)

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