戦術と指揮
 元陸上自衛隊陸将補の松村劭氏による戦術講義本です。一般向けにこの種の本が出るのは珍しいことです。本書は、最初は文藝春秋から刊行され、現在はPHP文庫から発売されているので入手は簡単です。

 本書には戦術を問う問題が60問も掲載されており、部隊運用の基本的な事柄の全体を学ぶことができます。その点は他に類書がないので、高く評価できます。

 ただ、指摘しないわけにはいかない問題もあります。第一に、設問の状況や地形に関する記述があまりにも簡単、不正確、不明瞭で、正しく考えることができません。これは、ライターに書き直してもらい、一般の読者にも分かりやすくすべきと考えます。

 たとえば、第5章以降の架空島Q島の地形の説明ですが、北部にLQ国、南部にSQ国があり、北西部にQ道4号線という道路があると「Q」づくしです。Q島の近くにはZ国とP国があります。首都はペガッサ市、シリウス市。その他、北シリウス街道、ジュピター半島、ムーン地区、バルゴ港、マーズ山、ジェミニ丘陵、ライブラ隘路、カペラ隘路などの地名があります。読者はX国から派遣された国連平和創造軍の一員としての判断を任されます。これらの関係する国名、地名がまったく頭に入ってきません。私の頭が悪いのかも知れませんが、何度もページを前後したり、地図を見たりしなければ、位置関係が分からなくなるのです。普通、架空の名前に共通する名前は使わないもので、なぜ「Q」という文字を多用したのかが分かりません。また、もっと親しみのある名前にして、記憶しやすくして欲しいものです。さらに主戦場となる中川(なぜかこれだけ日本語)は、第4章の「中川盆地における戦闘」に登場する河の名前と同じで、これも混乱する要因になっています。さらに、Q島の地図に描かれている尾根は、一見したところ線路にも見えます。こうした混乱した頭で問題を考えなければならないのは苦痛です。

 第5章の第2状況で、丘の上にあり包囲されている砲撃観測点を1個分隊で支援せよという問題は、「包囲」という言葉から想像される敵兵の数からして1個分隊で間に合うとは思えず、無謀な試みであるように思えました。敵兵が観測点があることを知っていて包囲しているのか、それと知らずに包囲したのかも不明で、作戦の立てようがないと思いました。この問題は観測点へ向かうルートを4つから選べと問うています。「陣地から約四百mまでは装甲車により低速前進し、そのあとで、装甲車と副分隊長以下三名の隊員を残して、前進拠点とし、そこから主力と衛生兵は、徒歩により観測丘にむかうとした」と書いてあるので、徒歩に移行した後のルートを考えるのだと思ったら、装甲車での移動も含めての考えを求めていました。イラスト地図も添えられていますが、これにはどこが観測点から400mなのかが書かれていません。丘に3本の白線が横にひかれているので、あるいはこれは陣地から100mを示す線なのかも知れませんが、判断しようがないのです。

 第5状況で、発見した3両の敵戦車のいずれを最初に射撃すべきかという問題は、敵戦車までの距離がはっきり分かりません。イラスト地図を見る限りでは、50m程度という至近距離に思えるので、とりあえず発煙弾を発射して後退したくなるところですが、そういう選択肢は用意されていません。問題の主旨としては、もっと遠くの戦車を想定しているように思えるのですが…。

 第8状況、3択の問題で、「B案:斥候班に監視させ、多方向から攻撃し反応をみる」「C案:斥候班に監視させ、多方向から射撃をくわえて反応をみる」という選択肢がありますが、「攻撃」と「射撃」がどう違うのかまったく分かりませんでした。第9状況になると、主人公結城軍曹が指揮する分隊がどこにいるのかが分からなくなります。これでは回答するのは無理です。

 イラスト地図があてにならないのは、他の問題でも同じです。第6章は連隊戦闘団の指揮を取り上げています。兵科記号で複数の部隊の位置が示されていますが、部隊番号が書かれていないので、本文の説明と照合させるのが面倒です。地図の数も少なくて、状況を把握できません。文章を半分くらいにして、イラスト地図を増やしたら、もっと分かりやすくなるのではないでしょうか。問題文を読んで、状況がすぐに把握できた問題では正答できるのですが、ページを前後して読み返した問題は大抵が誤答してしまいました。答えを読んで「ああ、そういう地形だったのか」と分かることが何度もありました。また、問題文に書かれるべき事が解答文中にある場合もありました。これらの問題すべては、本書を読む楽しみを損ねています。しかし、答えを間違えるのを気にせずに、先を読み進めるべきです。何度も読んで戦術の要諦を慣熟するには最適の本なのですから。

 それから、X国というのは日本のことで、法整備の不備で現場の足が引っ張られるという設定が数カ所あるのは頂けません。独断専行による攻撃が結果としてうまく行くという設定もどうかと思います。軍人は足かせをかけられることを嫌がるもので、それには正論もあります。しかし、現状で認められている範囲でも、裏技を使えば何とかなることは少なくありません。我々は、軍人に必要なことを容認したつもりでも、実際にはそれよりも踏み込んだことができるものなのです。こうしたことを容認するような記述は、逆に自衛隊に関する信頼を損ねると考えます。(2007.9.29)

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