世界を不幸にするアメリカの戦争経済
イラク戦費3兆ドルの衝撃

 この本は、ノーベル賞経済学者ジョセフ・E・スティグリッツとリンダ・イルムズがイラク戦争のコストを試算し、2006年に発表した論文を単行本用に書き直したものです。

 政府が発表する数字に加え、当然起こりうる経済的損失、将来発生するコストを考慮すると、少なく見積もっても3兆ドルがかかっていると、2人は結論しています。しかも、これはアメリカに限っての話であり、世界全体ではもっと損失は大きくなります。たとえば、日本が石油価格の高騰で被った損失は3,070億ドルにものぼります。当然、これはサマワに陸上自衛隊を派遣し、イラクに航空自衛隊の輸送機を飛ばし、インド洋に補給艦とイージス艦を派遣して、洋上給油を行った費用は含んでいません。ちょっと考えただけでも、日本は莫大な損失を被っていることになります。こうした費用を「ほかの用途に使えていたら、もっと経済的な恩恵があったはず」というのが、本書のテーマです。

 軍事費は政府が発表する資料で確認するものと考えているのなら、それは思慮が足りないというものです。こうした資料はできるだけ小さい数字が書かれるのが普通です。伝統的に軍事費は、近隣諸国に脅威を与えていないと言いたい政府の意向に従って、小さめに発表されるものです。政府の会計が民間の会計とは方式が違う点も、数字を錯覚させる原因になります。さらに、軍事費には含まれないけども、軍事のために使われる予算もあり、これらは数字から省かれています。さらに経済学者は、若者が軍務に取られることにより、生産活動に参加できないことによる損失も想定します。こうした見えにくい数字も拾い上げて加算していった結果が3兆ドルです。見積もりには仮想の数字も含まれており、そのために、見積もりは控えめな数字を採用しています。それでも、軽く3兆ドルを越える数字が出たのです。

 経済的な数字もそうですが、戦争に関するデータはなかなか集めにくいのが現状で、その難しさも本書は触れています。私もできるだけ多くのニュースに目を通すようにしていますが、どこまで実情を把握できているのかは確認が取れないのが実態です。そこで、過去の戦例を参考に、推測を交えながら戦況を見積もっていくことになります。これが実はとても大事なことです。人びとは、本当のことが分からないのを理由に、政府の言うことを鵜呑みにしてしまいがちです。ここに大きな誤りが存在するのです。だからこそ、一般国民が戦争ウォッチャーになる必要性があるのです。

 民間軍事会社の使用は軍の効率化を高めるという、米軍内にある考え方について、本書は真っ向から疑問を呈しています。民間軍事会社に対して支払われる費用は税金から出ており、戦費を食いつぶしています。その結果、米政府は高額な報酬を要求する会社には気前よく支払うのに、退役軍人が障害給付金の申請をすると渋い顔をするという、皮肉な構造が生まれていると、本書は指摘します。私もかねてより、民間軍事会社に対する米軍の考え方に疑問を持ってきたので、この意見には納得できます。

 最終章では、著者らの提言が書かれています。「戦争を気軽に始めてはならない」という意見には賛成できます。本書には経済学の枠を越えて軍事的な分析も行われています。もっとも、一番肝心の「なぜイラク侵攻は悪手なのか」という点には、やはり触れていません。それは、戦略的には「アルカイダの殲滅と直接の関係がない」こと。戦術的には、設定される戦域が広大すぎる上、武装勢力というタイプの敵を包囲し、殲滅することは事実上不可能だから」です。戦略、戦術の両面から否定できる作戦をあえて行うのが不合理なのは当然です。しかし、政治的には、こうした事実を歪め、国民を欺いて戦争を始めるのは可能なのです。世界の民主主義の牽引役たるアメリカで、こうしたことが起こったことを、我々は忘れるべきではありません。この点でアメリカ人は、日本人が太平洋戦争の総括が未だにできないのと同じく、まとめきれない部分を残しているのだと言えます。(2008.5.24)

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