国 防
 私は石破茂氏が「国防」を出版した際、すぐに読んで、その感想を1月31日にJ-RCOMに投稿しました。これを書評代わりに、読みにくいところを修正して下に掲載します。ただし、ここで触れたのは基本的な事柄だけで、この本には他にも問題があります。それはみなさんで考えてみてください。



 こんにちは、スパイクです。

 石破茂氏の『国防』を読み終わりました。

 『国防』には評価できる部分もありました。一番面白かった第七章の「自衛隊のユーザーは国民である」には、彼が防衛庁の中で行った議論が具体的に書かれており、その多くには関心をそそられました。その他の章にも部分的にそうした記述があります。

 しかし、次の事柄が強く気になります。
  • 軍事知識の誤り
  • 難解な言い回し
  • 理論展開の矛盾
  • 論理展開の一面性

 長所と短所をならすと、全体としてはかなりのマイナスです。もし、第七章に書かれていることが詳しく250ページ全編に渡って書かれていたら良書になったと思えるので、惜しい気がします。

 批判する以上、理由を書かなければいけないので、分かりやすい事例を説明します。ここでは意図的に分かりやすい問題だけを取り上げ、議論に渡るような事柄は避けました。本当はそちらが重要なのですが、できるだけ短くまとめ、読みやすくしたいと思いました。「軍事知識の誤り」については、前回も書いたので項目は設けませんでしたが、全体としては、それにも触れています。

「難解な言い回し」について

 言葉の使い方や文の書き方が不適切で、読みが止まってしまうことが何度もありました。以下の引用文を読んで、どこに問題があるか考えてみてください。

(第六章 「貴方も国を守ってください」から)
 普通の師団というのは、その中に大隊があって、連隊・中隊・小隊があります。(p168)

 石破氏の書き方は極めて誤解を招きやすい書き方です。この文だと、陸自の師団編成は、師団→大隊→連隊→中隊→小隊の順だと理解するのが普通ではないでしょうか?

 白濱龍興氏の「自衛隊災害医療」では、師団の編成を次のように表記しています。普通はこういう風に書くものです。

 師団・旅団・混成団は各方面隊の下にある組織で、それぞれが自己完結能力を持つ。規模的には師団>旅団>混成団の順である(二〇〇三年一二月三一日現在)。また師団や旅団の下には連隊や大隊などの部隊がある。(p17)

 一般的な陸軍の編成では、師団→旅団→連隊→大隊→中隊→小隊の順です。私は最初に読んだ時は、石破氏が連隊と大隊の位置関係を誤解していると誤読しました。何度も読み返している内に、「師団の下には大隊があり、その他に連隊もあって、連隊の中には中隊と小隊があります」と翻訳する必要があったことが分かります。しかし、普通は戦力の中核となる連隊を先に書いて、連隊を支援するために大隊などの諸隊があることも書くのが一般的です。

(第六章 「貴方も国を守ってください」から)
 ひとつのユニットが四つ揃い、さらに一つ上の大きなユニットを作るという形です。小隊が四つで中隊、中隊が四つで連隊ということです。(p168)

 この説明は間違っているわけではありませんが、普通科連隊に限っては、と書くべきです。先の引用文と合わせ、石破氏は一般師団の説明をしようとしています。しかし、一般師団という言葉がどこにも書かれていないので、ここに書かれた連隊、中隊が一般師団の中にある普通科連隊や普通科中隊のことを説明しているとはすぐには分かりません。普通科連隊や普通科中隊は4個単位で編成されますが、そうでない部隊もあることは注意が必要です。また、中隊は4つの小銃小隊だけではなく、中隊本部、迫撃砲小隊、対戦車小隊があることが抜けています。連隊も同様に中隊が4つあるだけでなく、同様に諸隊が存在します。石破氏はこの文章の前後で、奇しくも白濱氏も触れている「自己完結能力」=「活動に必要な装備や物資を有していること」を説明しようとしています。それなら、書かれなかった部隊こそ説明が必要だったはずですし、自己完結能力を言いたいのなら、そもそも連隊の下を省略した方がよりよい文になります。

(同上)
 そして、ひとつのユニットの中で大砲を持っていたり、戦車を持っていたりします。基本的には兵隊のチームがあり、それに本部管理中隊が付いて、衛生や通信、施設といった部分を師団ごとに見ます。(p168)

 最初、ここでいう「ユニット」や「チーム」が具体的にどの部隊なのか分からず、文全体が何を言っているのもまったく分かりませんでした。「ファイヤーチーム」「コンバットチーム」など、軍事用語にはチームという言葉が色々な形で使われるので、なおさらです。先の引用文の続きであるとすれば、本部管理中隊という名称から判断して「チーム」は普通科中隊を指し、文全体で普通科連隊の説明をしているように見えますが、文末まで読むと一般師団の説明だったと分かります。師団レベルでの同種の部隊というと後方支援連隊です。変だと思って何度も読み直すと、極めて特殊な言い回しで師団の構造を説明しようとしていることが分かりました。最初の文は同じ種類の武器を装備したグループで一つの部隊を構成するのですよ、と言っています。「兵隊のチーム」はやはり普通科連隊で、「それに本部管理中隊が付いて」までが普通科連隊の説明です。石破氏はそれで普通科連隊の説明は終わったと考え、文を別にせずに師団の説明を続けているのです。だから分かりにくい。普通こういう書き方はしないものです。

(同上)
 しかし特殊作戦群の隊員は、こういう通常の連隊とは異なり、小隊の規模で自己完結できるのです。ライフルマンでありながら衛生兵でもあり。通信もでき英語も喋れる。ですから、非常に小さいユニットで大きな働きが出来ます。彼ら八人ほどで一個師団分の機能がある、つまり今までの感覚で二十〜三十人分の判断を任されているということです。(p168〜169)

 特殊部隊の一個小隊が一個師団と機能が同じと言う軍事専門家はいません。師団と特殊作戦群の小隊の戦力や自己完結機能は実情が違っており、比較すること自体変です。それに一般の人が読んだら、8×30=240と計算して、7千人からいる一個師団の人数を最大で240人と誤解する恐れもあります。そもそも、この「二十〜三十人分」という数字は根拠が分かりません。

 証明できないけども、間違っている可能性がある記述についても一つ事例をあげます。

(第五章 「テポドンは防げるか」から)
 これは中国をはじめ諸外国に向かって重ねて言っていることですが、私は、MDを配備することは、最終的に核廃絶に繋がるものだと思っています。(p144)

 MDとは、迎撃ミサイルで核ミサイルを撃墜する防衛システムのことです。過去に新兵器が戦争を消し去ったことはなく、戦いの姿が変わるだけです。石破氏の話は私には新説に思えます。手動式の多銃身銃連発銃のガトリング砲は、最終兵器を作れば誰も戦争をしなくなるという確信から医師によって発明されましたが、歴史にほとんど影響を及ぼしませんでした。核兵器が開発された時、かなりの人が同じ理由から通常の戦争はなくなると考えましたが、結果は現状が示すとおりです。機関銃が発明されると、歩兵は正面突撃を止めることで対応しました。対戦車兵器が発達しても戦車はなくなりませんでした。仮定の話として、MDが実用化されても核保有国が核を手放すとは思えません。どの国も核兵器を保持し続ける方が得だと考えるはずです。この件はMDが実用化されていないことから結論は出せませんが、グレーだとはいえます。

「理論展開の矛盾」について

(第一章 「いまそこにある危機」から)
 ケネディが在任中に軍事予算を増やしたとき、当時の野党、共和党から「軍事予算を増やしたケネディはけしからん」という議論がわき起こりました。その時にケネディは、「多すぎるかも知れない。しかし私は国民をギャンブルにかけるわけにはいかないんだ」と演説をしたというのです。
 私たちはギャンブラーではありません。ですから備えるべきものは備えなくてはいけない。(p25-26)

 「国防はギャンブルではない」という意見は、いつの間にか次のように変わります。

(第二章 「イラク戦争とは何だったのか」から)
 私は今度のイラク派遣で、この国が持っている「運」を試されている気がしていました。あとのことは運任せ、と言っているのではありません。運というのは、不幸な事態にならない、もしくはなったとしても、それを乗り越えられるという運です。(p54)

 結局、アメリカの国家戦略ではギャンブルは許されないが、イラク派遣ではそれしかないと石破氏は言っているのです。戦争とギャンブルの関係というと、クラウゼヴィッツの「戦争論」第一編「戦争の本質について」に、すぐに思い浮かぶ一節があります。

 二十一 戦争の客観的性質からと同じように、主観的性質からも戦争は賭けとなる(日本クラウゼヴィッツ学会訳 芙蓉書房出版 p41)

 戦争はすべからく賭けなのであって、それを自分に有利に仕向けることが軍事的思考だとクラウゼヴィッツは言っているのです。私は、この一文が戦争とギャンブルとの共通性を表現し切っていると思っているので、石破氏の話は正しくないと考えます。ケネディ大統領の言葉は戦略論というよりは説得術の類であって、軍事問題に引用すべき話ではありませんし、国防には一分の隙も許されないというのなら、イラク派遣を運に任せるのはおかしいことになります。戦争と賭けに関して、石破氏がどういう考えを持っているのかが分かりません。

 戦争を観察するためには、誰もが冷徹なギャンブラーになるべきです。そもそも国家安全保障においても、ひとりの兵士の戦闘においても、戦争や戦闘の結果のすべては偶然の産物と考えるのが軍事の常識です。だから、私は武力紛争を考察する時、結果を可能性で考えていきます。「最悪の結果」「最良の結果」「最もありそうな結果」という風に結果を分けて想定していきます。イラクの自由作戦では、バグダッド陥落までの期間は、最短で3週間、最長で1ヶ月、最もありそうなのは4週間と考えました。ところがこの作戦には落とし穴があって、首都陥落後は、第二次世界大戦のヨーロッパみたいに抵抗運動が拡がるのが確実でした。さらにその先となると、いくつかの道は考えられるものの、結末には何の保証も見出せません。結論として、イラクの自由作戦はやるべきではない作戦であり、日本は決して荷担してはならないと結論していました。

 実際に、アメリカの軍事アナリストや退役軍人たちまでがこの作戦に疑問を示し、現にその通りになったのです。ところが、石破氏は国連決議の正当性だけを問題にして、テロ戦争でどう勝つかについては一言も論じていません。

「論理展開の一面性」について

 第二章の「イラク戦争とは何だったのか」の41ページに、イラクの自由作戦の開戦理由が書かれています。長いので簡単にまとめます。

  • 国連決議678号 クウェートからイラクが撤退しなければ、あらゆる手段を行使する (湾岸戦争前)
  • 国連決議687号 イラクは国連の大量破壊兵器の査察を認めよ、さもなくば攻撃を行う (湾岸戦争停戦時)
  • 国連決議1441号 イラクが大量破壊兵器の査察に応じなければ、深刻な結果を招く (2002年)

 国連決議1441号にイラクが従わなかったので、国連決議687号が有効になったというのが、アメリカや日本の立場だと石破氏は説明しています。しかし、湾岸戦争の根拠となった国連決議678号には、明確に明瞭に戦争を意味する文言が置かれたのに対して、1441号は「深刻な事態を招く」だけでした。この解釈で国際社会の足並みが乱れ、混乱が起きたわけです。それに対する石破氏の考えや、1441号はアメリカがテロとの戦いを始めるために利用されたに過ぎないという見解に対しても何も答えていません。118ページには、国際法の専門家で法学部の教授でもあるフランスのアリヨマリー国防大臣と議論をしたことが書かれていますが、話が噛み合わなかったことが仄めかされています。その代わり、あの評判が悪いラムズフェルドとは随分と話が合ったことは繰り返し書かれています。

 その上、「大事なのは、厳密な意味で、どの国の立場から見ても本当に大儀のある戦争なんてものはどこにもないということです。」(p41)と開き直っています。これでは軍事を語る者の立場を放棄しているとしか思えません。少なくとも、私はこういうことを平気で口にする者の軍事論を信じることができません。しまいには、テロ戦争について「歴史上、百年戦争なんていうものもありましたが、それぐらい長いものなのかもしれなせん。」(p71)と書いています。百年戦争は1337年から1453年までフランスとイギリスが断続的に領土を巡って争った戦争で、テロ戦争とは要素となる事柄がまるで違います。世界中の軍事専門家で、百年戦争をテロ戦争の引き合いに出す人は石破氏だけでしょう。ここまで来ると、軍事学の議論とは言えなくなります。酒場の政治談義みたいなものだというべきでしょう。

 おまけに「そしてまた、国際法とは、それぞれの主権国家の解釈を呼ぶということです。」(p41)で逃げを打っています。確かに国際法は直接主権国家を拘束するのではなく、各国の法律によって守られるというのが常識です。しかし、ここで石破氏はそれを開き直るために利用しているのです。また、先の私の投稿に引いたように、石破氏はイラクが国際法を侵犯するのは絶対に許せないと言ってることから考えても、確固たるものではないことが分かります。これは「論理展開の矛盾」です。

 ここで指摘したのは分かりやすい事例だけで、本当に問題がある部分は他にあります。すべてを書くと本一冊分の分量になりそうです。彼が防衛庁長官の仕事を真摯に務めようとしたことは疑いませんが、能力の不足から、かなりの部分で日本に悪い選択をさせていることに確信が持てました。

 読者においては、一つの情報を読むたびに、本当にそうなのかを検証しながらこの本を読むようお勧めします。たとえば、216ページに次のように書いてあったら、この意見が妥当といえるかをインターネットなどを使って調べてみて欲しいのです。

(第九章 対米追随とならないために)
 『不安定の弧』の中で、米軍基地は、韓国、日本の他には、インド洋のイギリス領ディエゴ・ガルシア島に置かれているだけです。逆に言えば、ディエゴ・ガルシア島から日本、韓国までの間は、全部空いてしまっています。

(2007.9.27)

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