報道できなかったイラク自衛隊従軍記
 この本を読んで「もしも…」と思ったのは、もう少し軍事が分かる人がイラク派遣隊の通訳だったら、さらに面白いレポートが書けたろうということでした。これは本書の内容が薄いということではありません。むしろ、非常に面白い本と言え、私は一気に読み終えました。米軍基地の簡易トイレに各国軍兵士がブッシュ大統領を揶揄する落書きが沢山あったという記述には思わず笑ってしまいました。

 ただ、金子氏が軍事知識をお持ちなら、さらに別の印象を持て、もっと興味深い本を書けたのは確実です。金子氏は自衛官の食事の早さや、宿舎の移動などの際、迅速に作業を行うのに驚かれたようです。日本の軍人は旧軍時代から早飯が常識です。旧軍体験者の手記には上官の評価を得るために常に最初に食べ終えるようにしていたといった記述がありますし、当時撮影されたフィルムにも飯ごうから飯をかき込むようにして胃に収める将兵の姿が写っています。また、荷物をまとめて移動するのが早いのも訓練のたまもので、ごく常識的な事柄です。任務を終える少し前でも、宿泊地の防護案のファイルが入ったパソコンを使うのを禁じられ、見えない壁を感じたという記述も、軍隊という組織の性質を理解していないものです。もし、金子氏に軍事知識があったら、こうしたことは省き、もっと別のことを書いたろうと思います。もっとも、これは私の勝手な要望というべきでしょうか。

 軍事知識があれば、日々起こることの意味をもっと詳しく書けたはずです。自衛官の行動に関する技術が非常に少ないのは、その意味が分からず、記憶に残らなかったためだと思います。それでも、佐藤正久氏の著書「イラク自衛隊 『戦闘記』」ではほとんど触れられていない、基地設営の遅れの状況など、これまで知らされていなかったことが実に細かく書かれている点は、イラク派遣に関心を持つ人すべてに興味深く読めるはずです。

 明らかに指摘したいと思うのは、金子氏が「場」の論理に流されていると言える記述があることです。無意識のうちに、自衛隊の側に立って物事を見たと思える記述がいくつかあります。たとえば、終礼の時にイラクと日本の国旗が並んではためくのを見て「その向こうに両国の未来を感じた。」と書いています。金子氏はフリージャーナリストでもあります。それならば、観察に基づいた記事を書くべきで、旗を見た感想を書くべきではありません。金子氏がこのように感じたのは復興支援活動の一員だったからであり、傍目から見れば、この活動はイラクの復興にとって大きな役割は果たせていないのが明らかなのです。また、取材に来た報道陣が軽薄に見えたという記述も、共同生活をする内に自衛隊に感情移入してしまった結果と見えます。旗にしろ、報道陣にしろ、明確な理由があっての感想ではないのが残念です。

 それから、金子氏が明らかにPTSDの初期症状を示していたことが文中に書かれていますが、本人にはその自覚をお持ちでないようなのが気になりました。悪夢を続けてみるとか、イラクを離れた後でも起床ラッパの幻聴を聴くといったことはPTSDの初期症状と見るべきです。その後、幻聴が消えたと書いてあるので、症状はそれほど重くないようです。警備などの負荷の高い任務でなくても、2ヶ月ほどの派遣でもPTSDの症状が出るというのは注目に値することです。

 香田証生氏が武装勢力に殺害された件について、金子氏が政府の対応を指摘したことは、感動を覚えるほど正鵠を突いていると思います。金子氏が指摘する配慮は現在の与党、いや野党においてもなしえないことでしょう。明らかに実力不足なのに、いま日本は自衛隊の集団的自衛権の解禁に向けてひた走りしています。これは、まだ自転車に乗れない子供がオートバイに乗りたいと言っているようなものです。たとえ、オートバイに乗る練習をしても、交通事故という不慮の事故は避け得ません。交通規則を守り、安全に走行していても、横道から飛び出してきた車と衝突する危険は常にあります。戦争にも努力を越えたところにある悲劇というものがあります。日本政府は批判を避けるために、あえてそうした面に目を向けようとしません。このまま進めば、いずれ大きな悲劇が待っています。(2007.8.26)

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